第5章 死線を越えて
35 反乱


 集まっているのは五人だった。一人が遅れている。最初に作戦会議室に着いていたテルセロは、ひどく無駄な時間を過ごすことになっているが、不満は顔には出さないようにしていた。長机に置いた両手を、ひたすら眺めている。
 もともとは十人、最近ログナが加わって十一人となっていた王国騎士団の団長補佐は、王都襲撃により六人にまで減っていた。生き残ったのは、十年前の魔王討伐戦を戦い抜いた百戦錬磨の歴々で、最近昇進したばかりのテルセロが、気安く話しかけられるような人間は一人もいなかった。
 王国騎士団は十年前に一度、壊滅しており、今回の王都襲撃で、その生き残りだった団長補佐二名も、亡くなってしまった。そのためいまここにいるどの団長補佐も、王国軍や自警団出身だ。テルセロ自身も、五年前に王国騎士団に雇われた。九年前、先代騎士団長だった祖父、ラッツ・リオルディの死去に伴い、祖父が護衛を務めていたロステト村の廃村が決まった。それに伴い王都へやってきて、半農民の王国軍として戦ったあと、レイに声をかけられ、引き抜かれた形だった。他の面々も、年数に数年の差はあれど、似たようなものだ。騎士団再編の中心となったレイがいなくなった今、すぐに瓦解してもおかしくない。
 しかし、とテルセロは、目を動かす。
 石壁に貼られた王国の国旗を背に、腕組みして立つギニッチ・ベスター。この男が、騎士団にはまだ残っていた。新兵はその顔を見ただけで縮み上がると噂の強面と、鍛え抜かれた鋼の肉体をひっさげて戦場を駆け抜け、十年前の魔物暴走の折りには、王国の北辺領やノルグ領を守り切る大戦果を挙げた男だ。圧倒的に強かったレイと比べてしまうと実力に開きがあることは確かだが、ここ十年でレイに次ぐ武勲を挙げたのはギニッチだと言えば、誰もが納得するだろう。
 最後の一人が、静かに正面の木製扉を開く音がした。
「申し訳ない、ちょうどルダスや新種の襲撃があったもので」
 彼が席に着いたのを確認すると、ギニッチは、自らも腰を下ろした。無造作に投げ出された黒髪と白髪まじりの頭を軽く掻いたあと、咳払いをして、話し始める。
「まだ大きな動きはないらしいが」
 顔が、こちらに向いている。テルセロは頷き、報告した。
「はい。時折ルダスやミングス、それに爬虫類型の新種などが現れる程度で、損害はほとんどありません」
「まあ、そのために我々が駆り出されているわけだからな」
 テルセロの正面に座っている、老齢の団長補佐が呟く。
 ギニッチの指示は単純明快だった。いたずらに兵を損耗させる余裕はないから、いま王都北部城塞にいるなかで最も頼れる団長補佐たちを、それぞれ最前線に送って戦わせる、というものだ。その戦いには、偵察、周辺の安全の確保、魔物の肉を狩ることによる食料の調達と、さまざまな性格が兼ね備えられている。そのあいだ、最前線で戦う技量のない兵士たちや、一般市民は、おびただしい数の遺体の片付け、ズヤラ川からの水汲み、王都北部城塞の補強工事、地下施設の建設、といった裏方仕事に専念することができている。
「魔法陣は?」
 ギニッチはテルセロの隣の、魔法担当の団長補佐に訊ねた。
「ズヤラ遺跡に派遣していた、魔石輸送隊の第三陣が無事帰還し、例の小刀からもほんの少し削らせていただいたので、もうほとんど移行は完了しています。ここにはもともと、全種の巨大な魔法陣と、膨大な贄の備蓄がありますから」
「そうか……」
「あとはいつ、敵が攻めてくるかですね」
 兵糧調達担当の団長補佐が言った言葉に、ギニッチは呻いた。
「俺には、あの気色悪い人間もどき共が何を考えてるのか全く読めんのだ。あれだけの力を持っていながら、なぜ攻めて来ん」
 誰も、答えられずに黙り込んでしまった。
 会議室の中に、沈黙が降りる。
 しかしテルセロは、ある兵士の証言を思い出していた。
『奴らは人間を飼おうとしている』
 人間を食おうとしている、という言葉の聞き間違いかと思ったが、何度か尋ねてみて、やはり人間を飼おうとしている、ということのようだった。
 王都にほど近いこの場所に攻めてこないのは、その言葉から読み取るべき何かがあるに違いない。
 しかし、他の面々の中で最年少の自分が、そんなことを言っていいものだろうか。
 迷っていると、
「敵に何か予想外の事が起きた可能性もあります。逆にこちらから攻めるというのはどうでしょうか」
 魔法担当の団長補佐が提案した。
「難しいな。レイ様を退け北部城塞をこのありさまに追い込んだ魔物どもに攻めかかっては、勝てるものも勝てんぞ」
「やはり、待つしかないですかね……」
「いや、座して死を待つよりは」
 にわかに、議場が活気づき始めた。
 ますます言い出しにくくなり、テルセロは黙ってやり取りを聞いていた。
 すると、それに目を留めたらしいギニッチが、言ってくる。
「どうした、テルセロ。貴様は立派に殿《しんがり》の役割を果たした。意見を言うのに気後れすることもあるまい」
 テルセロは丸刈りの頭をなでながら、俯いて机に視線を遣ってから、顔をあげた。
「奴らは人間を飼おうとしている」
「ん?」
「という証言はご存知でしょうか。あの混乱のさなか、運よく王都中心部から逃げのびた兵士が証言したのですが」
「食おうとしているの間違いではないのか?」
 テルセロの正面に座る老齢の団長補佐が訊いてくる。
「俺も初めはそう思い、何度も聞き返したのですが、どうやら間違いないようです。奴らは、人間をある程度喰らったあと、残った人間を脅しつけて、ある一定の範囲内に移動させていたと。報告した彼には、それが、我々が家畜を移動させるときの動きのように感じたと、そういうことのようです」
「だが……」
 口を挟もうとする魔法担当の団長補佐を目で制し、
「すぐに我々を殺し尽くさないのは、奴らが我々を食料として見ているからではないかと考えています」
「つまり、我々が生かされているのは、いつでも殺せる虫けらだと思われているから、そう言いたいわけか」
 ギニッチの威圧的な視線が突き刺さり、テルセロはうろたえそうになったが、どうにか表情には出さずに堪えた。
 ギニッチはしばらくじっとテルセロを見たあと、視線を外した。
「一応、筋は通っているな。頭を潰してしまえば敵は烏合の衆と化す、それが長らく我々の常識だった。いま敵対している魔物どもが、もし十二年前の我々の動きを見ていたとするなら。魔王さえ潰せばと必死になっていた動きを見ていたとするなら、そこで、人間の習性を学んだのかもしれん」
「しかし、魔物にそんな知性があるとは……」
「現に、団長、神学長、将軍と……最高指揮官ばかりが殺されているではないか」
 魔法担当の団長補佐は、ギニッチの言葉に、また黙り込む。
「いつでも殺せる虫けらと思われているならばそれはそれで好都合。そのあいだに、各方面に散った者達と合流し、立て直しを図ればいい」
 老齢の団長補佐が言う。
「その場合、問題は」
 この会議に遅れて入ってきた情報担当の団長補佐が口を開こうとしたとき、扉を激しく叩く音が響いた。
 ギニッチ以外の全員が、身じろぎした。これ以上悪い知らせは聞きたくない、そんな空気が、一瞬にして蔓延する。
 誰も応えないので、再び扉が叩かれた。
 ギニッチが、情報担当の団長補佐に険しい視線を投げる。彼は仕方なしに、
「入れ」
 と言った。
 入ってきた兵士は慌てた様子で会議室を見回し、情報担当の団長補佐を見つけると、一直線に歩いて手紙を渡した。
 情報担当の団長補佐は、ため息をつきながら、手紙を広げる。
 しばらく手紙を目で追ってから、もう一度ため息をつく。
「王都北辺領の伝令からの報告です。ノルグ族が魔物どもと結託して、王国旧領への侵攻を開始したようです。北辺領《ほくへんりょう》はすでに陥落、ノルグ族の軍勢は、ここ、王都北部城塞に進路を向けている様子とのこと」
「やはり来たか」
 ギニッチはそう言うと、テルセロをはじめとした五人が目配せをして不安を確認し合う中、突然、机の上に、硬く握りしめた拳を振り下ろした。
 びくりと肩を震わせた五人をよそに、ギニッチはなぜか笑った。
「叩き潰す」



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