3 プロローグ(終)

 途中でなぜか、それぞれの手袋にはめてある魔石が、どれも反応しなくなり、魔法が使えなくなった。そのため、厄介な魔物の生息域を避けざるを得ず、十日ほどかけて、低級の魔物が巣食う森を抜けた。
 周囲を森に囲まれた丘の上にひっそりとたたずむ砦――ロステト村にたどり着くと、村中を包むように薄紫色の簡易結界魔法が張られていた。
 村に唯一ある出入り口、鉄でできた門の前には、見覚えのある一人の老人が、柄《つか》だけしかない剣を構えた姿勢のまま、じっとこちらを見つめていた。
「おい。ほんとに無事だよこの村」
 呆れ混じりに呟いたログナは、木の棒を杖代わりにして歩いているクローセに視線を向けた。彼女の顔は魔物の返り血と泥で汚れている。その真っ黒な顔から、白い歯と赤い舌がのぞく。
「言ったでしょ。ラッツ様はすごいんだって」
 体力を温存するために、ここへ辿り着くまで、ほとんど会話をしなかった。しわがれた声で誇らしげに胸を張ったクローセの声に、リルとバルドーがくすりと笑みを零す。
「クローセ、子供みたいです」
 そう言ったミスティも、ログナの腕の中で笑う。
 ようやく人間と出会えた、抑えきれない安堵の気持ちを抱きながら、五人は近づいていく。
 しかしラッツは、五人の姿を見ても構えを解かなかった。
「止まれ!」
 戸惑いながら、指示に従う。
「すまないが、村には入れられない」
「なっ……。ラッツ様! なぜです!」
 子供が駄々をこねるように、クローセが言う。無理もない。彼女の体力は、もはや限界にきている。飢えは魔物の肉でどうにかなったが、渇きは地面に溜まった泥水を分け合うようにしてしのいだ。ここを最後の希望として、逃げ続けてきた。傍目から見ても、これ以上彼女は、もたない。いや、彼女だけではない。リルも、バルドーも、ミスティも。そして自分も。もうもたない。
「ミスティだけ、こちらに来てもらおう。先程、この村に、王都からの急報が届いた。その紙を、渡したい」
 腕の中のミスティが不安げな顔をログナに向けてくる。ログナは頷きかけ、ゆっくりとミスティを地面に降ろした。彼女はクローセから木の棒を借り受けると、足を痛々しく引きずりながら、一歩一歩、ラッツのそばへ進んでいく。
 ラッツは白くなるほど唇を噛みしめて、その様子を見ていた。そしてミスティが目の前に来ると、外套《がいとう》の中に手を差し入れ、一枚の羊皮紙を取り出した。
 それを受け取ったミスティがまた、一歩一歩、ゆっくりと時間をかけて、こちらへ戻ってくる。
 ログナは、戻ってきた彼女を右腕で抱きとめ、左手で、羊皮紙を取り上げた。
 六人に瓜二つと言ってもいい、精巧な似顔絵の下に、文字が書いてある。

 一、魔物を扇動した罪
 二、敵前逃亡の罪
 三、王国に対する反逆の罪
 以上三つの罪により、この者たちを国外追放処分に処す。国内での滞在が確認された場合、ただちに捕縛し、最寄りの王国軍詰所、騎士団詰所に引き渡すべし。捕縛した場合の賞金は、一名につき一億ロド。殺害後の引き渡しの場合、賞金は一名につき五千万ロドに減額する。

「王族は、魔王さえ倒せば平和が戻るを合言葉に、国民に過大な税負担を強いてきた。しかし結果はこうだ。このまま手をこまねいていれば、王政が崩壊すると判断したのだろう。魔物の暴走の責任をなすりつけるために、お前たち一人一人に対して、国外追放処分が科されたらしい。莫大な懸賞金までかけられた」
 ログナは一瞬、何も考えられなくなった。体中から血の気が引く。
「村の連中に見つかると危うい」
 ラッツはそう言うと、左手で柄を握ったまま、右手を掲げた。指先から、昼間でも目視できるほどの光があふれて、森のほうに伸びた。
 仲間を呼んだのか、という危機感によって、ログナはすぐに現実的な思考に引き戻された。
「従者に準備させておいた。せめてここで、旅の支度を整えていってくれ」
 光が示した場所には、木々に囲まれた、物資が載った大きな荷車と、外套、服、薄手の布、武具一式などが置いてあるのが見えた。
 そのあまりにも手の行き届いた様子に、
「じいさん。あんたは、わかってたのか」
 クローセが言った言葉を思い返しながら、ログナは口を開いた。
「何がだ」
「魔王を倒せばこうなることも全部、わかっていて、俺たちを行かせたのか?」
「買い被るな。可能性の一つとして考えていただけだ。お前たちについていかなかったことに、他意はない。今の私は肺病持ちだ。あの生意気な坊主の剣さばきを見て、老いぼれの出る幕はないと、あのときは本当にそう思っていた」
「あいつは、死んだよ」
「そのようだな。残念だ」
「ふざけんじゃねえよ! 他人事だと思いやがって! 俺たちは、こんな……。こんな状況を生み出すために、命懸けで戦ってきたわけじゃない!」
 ログナはいつの間にか自分で自分の抑えがつかなくなってきているのに気付いた。止めようとしたが、止まらなかった。
「魔王を倒した英雄をみすみす死なせておいて、何が魔王討伐だ! 何が平和だ!」
 たが、ラッツの静かな瞳を見ているうちに呼吸が落ち着いてきて、自然と声も小さくなった。
「なあ。じいさん。こんなの、あんまりだろ……」
「そうだな」
 ラッツは低い声でそう言うと、
「着替えたら少し休め。魔法の供給源を絶たれた今のお前らではこの村の自警団にも苦戦するだろう。休んでいる間は、誰も外へ出さないようにしておく」
 ラッツはそのままログナたちから目を切ると、周囲の警戒を始めた。
 荷車の荷にかけられた薄手の布を手に取り、顔を拭う。汚れを少し落とした、ただそれだけなのに、ずいぶんと心地よく感じた。
 よく足元を確認してみると、背の低い草の上に置いてある一式はそれぞれの装備に対応しているようだった。鞘に収まった両手剣の置かれた場所まで行く。右隣にも、同じ型の両手剣が置いてある。服や外套は一回り小さいように見えるので、そちらはバルドーのものだろう。
 さすがに、新しい魔石は置いていなかった。魔石の源泉からの供給を、王国によって絶たれた以上、魔法はしばらく使えない。剣技でしのぐしかない。
 バルドーとともに、女性陣の姿が見えなくなる場所まで歩き、そこで着替えた。垢まみれだった下着と戦闘服を脱ぎ去り、新しいものに肌を通し、やわらかな草の上に身を横たえる。
 寝付く前に、女性陣の寝ているほうからミスティのすすり泣く声が聞こえたが、疲労そのものと化した体が貪欲に睡眠を求め、ミスティのその声は徐々に遠くなっていった。

 クローセに叩き起こされたログナとバルドーは、改めて、ラッツの前に戻った。
 辺りは夕暮れ時になっていた。
「ありがとうございました」
 クローセが礼を言うと、ラッツは一瞬驚いたような顔を見せ、そのあと、クローセから目をそらした。
「すまない。私には……子も、孫もいる。手助けするわけにはいかない」
「わかっています。情報を頂いて、装備までいただいて、休息までとらせていただいて。感謝の言葉もありません」
「これから、どうするつもりだ?」
 ラッツの問いかけに四人は沈黙した。
 ログナは意外に思いながら、この十日の間、森の中をさまよいながら考えていたことを、口に出した。
「俺は、育った島に帰る」
 四人が、一斉にこちらを向く。
「俺の育ったキュセ島は、王国軍の詰所すらねえド田舎の離島でさ。じいさんばあさんしかいない。やっぱり、心配なんだ」
「そっか……」
 リルが呟くように言う。
「それに俺は、魔王を倒したら、やりたいことがあったんだ。まあ、その、なんだ。魔物の襲撃で親を亡くした孤児を何人か、育てようと思う。俺が、島の人たちにしてもらったみたいに」
「でも、ログナ。国外追放処分が決まったのに、国内にとどまったりしたら……」
 クローセが言いよどむ。
「髭をたくわえる。そうすれば少しは人相も隠れるだろうしな。うちの島はよそ者が来たらすぐにわかるから、隠れるにも都合がいい。帰った途端に騎士団を呼び寄せられたら、それはそれで諦める」
「お別れ、なんですね」
「ミスティ。お前は、どうする」
「わたし……ですか。わたしは、もう、この国にはいたくないですね」
「けど、お前、国外って言ってもろくな場所がねえだろ。国外ってのは、魔物の住処ってことだぞ。お前さえよければ、一緒に島に……」
「わたし、カロルに罪をなすりつけた人たちに見つからないように怯えて暮らすくらいなら、魔物に怯えて暮らす方を選びます」
「あ、えっと……俺もだ」
 バルドーが手を挙げた。
「俺も、行き先はわかんないけど、ミスティと同じ気持ちだ。この国を出るつもりでいた」
「わたしも」
「そうね。わたしも」
 他の四人すべてが、明確な目標はないものの、国を出る選択をしたことに、ログナは少なからぬ驚きを覚えた。
「なんだ、結局、この国に残るのは俺だけか」
「あの……みなさんさえよければ、わたしと一緒に行動しませんか? わたし、ちょっとした計画があるんです」
 十歳とは思えないミスティの発言に、バルドー、リル、クローセは揃って笑みを浮かべた。
「もちろん」
「当然」
「ミスティは放っておけないしね」
 ミスティは、ありがとうございますと言って、頭を下げた。そしてログナの方に、少し、媚びるような上目づかいを向けてきた。早熟な子供だと思っていたが、こんな視線の使い方を今から覚えているようでは、先が怖い。
「ログナも一緒だと、もっと心強いんですが……」
「あー。悪い。俺、やっぱり、見捨てらんねえんだ。島のこと」
「そう、ですか。仕方ないですね」
「どうやら、今後の方針が決まったようだな」
 ラッツの声に、全員が頷いた。

「じゃ、俺、こっちの道だから」
 右手に持った地図を見ながら言って、ログナは顔を上げた。
 思い思いに別れの言葉を投げかけあったあと、歩き出す。しかし少しすると、
「ログナ!」
 呼び止められた。
 振り向くと、ミスティが、何も言わずに、首に手をやった。そして何かを投げて寄越してきた。
 慌てて地図をしまい込み、飛んできたそれを両手で掴み取った。彼女が、というよりも、ロド王国の人間のほぼすべてがいつも首から提げている、五芒星の首飾りだった。五芒星は、ロド王国の国教であるロド教の象徴だ。魔力の伝達を迅速にする効果もあり、誰もが首からさげている。それを誰かに渡すということはつまり、棄教するということだ。
「勇者カロルの加護をー!」
 黄金《こがね》色の夕日を背にしたミスティが、体全体を使って、大きく手を振った。他の三人もそれぞれ手を振った。
 相手の無事を祈る言葉、『聖母リリーの加護を』をミスティは言い換えた。
 ログナも、五芒星の首飾りを握った右手を掲げた。
「勇者カロルの加護を!」
 ミスティの泣き出しそうな笑顔を目に焼き付けて、ログナは四人に背を向けた。



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