24 話をつけるため


 馬の手綱を握りしめながら、ログナは心の中で何度も後悔した。
 やはり、二人を残していくべきではなかった。トライドの提案は、二人一組でズヤラ砦の監視を続け、一日ごとに交代要員を送り込んでいくというものだった。危険性はさほど高くないだろう、トライドの自主性に任せてみようと思ったのだが、敵が動いたのが早すぎた。加えて、敵にはなかなか優れた警戒要員がいるらしい。
「間もなくです」
 テイニが馬を近くに寄せてきた。
 テイニは肩や腕に小さな穴が開いたような、奇妙な傷をつけられて帰ってきた。痛みに耐えながら、満身創痍の状態で駆け戻り、トライドが囚われたことを知らせてくれた。
 相手方の指示は、この場所にログナを連れて来い、ただそれだけだったという。今も痛みに顔をしかめながら、馬を操っている。
「お前はすぐに戻れ」
 ログナは馬から降り、馬上のテイニに言った。
「ですが……」
「相手は一応、盗賊ってことになってる。女が捕まったらどうなるかわかるだろう」
 テイニはログナの目をじっと見たあと、頷いた。
「イシュやルーアが血気に逸ろうとしたら絶対に止めろ。ルーアはイシュが止められるだろうが、イシュの歯止めになれるのはお前しかいない。ここに来る前に言った通りにしてくれ」
「任せてください。あの子の扱いは、わたしが一番慣れてますから」
 テイニは眠そうな二重瞼をぱちぱちとさせながら、笑った。
「一週間になるか一か月になるかはわからないが、話をつけて、必ず知らせに行く。それまで、頼んだぞ」
 頷いたテイニは、手綱を引いて方向転換し、走り去る。
 ログナは近くの木に手綱をくくりつけ、馬を置いて歩き出した。
 テイニが示した場所は、森というほどではないが、冬でも葉を生い茂らせている背の高い常緑樹や、葉の落ちた低木があり、左手には川が流れている。
 隠れるとしたら、常緑樹の葉の中か、太い幹の陰かだ。
 敵は、弓ではない、何か別の飛び道具を使ったようだとテイニは言った。いつ狙撃されてもいいように、防御魔法を発動させながら、一歩一歩、歩いて行く。水はけが悪い場所なのか、水たまりが、ところどころに残っている。一歩進むたびに靴が軽く沈みこむ。ときおり風に常緑樹の葉が揺られる以外は、音が何もしない。ログナはある程度まで行ったところで立ち止まり、風がやむまで待って、気配を窺った。
 しばらくそのままでいると、風が止んでいるのに、ぱきり、と枝の音がした。
 ログナは右後方から聞こえた音の源へ、一直線に走った。
 同時に、四方八方から音がした。いますぐに攻撃を仕掛けるのは諦め、魔法の当たる面積を少なくするためにしゃがんだ。体を丸めこんでから魔法土を操作し、体全てを覆った。
 遠距離魔法が一斉に体にぶつかり、集団からひたすら暴行を受けているような衝撃が走る。だが、突き破られはしなかった。痛みもない。断続的に伝わる衝撃に、むせて貴重な酸素を吐き出しそうにはなるが、堪えた。
 息が続く限り、ログナは魔法土で全身を覆い続けた。窒息しかけたところで、一瞬、鼻の穴のあたりの魔法土だけをどかして、新たに空気を取り込む。そしてまた鼻の穴も覆う。目や耳の穴も同じように開けたり塞いだりして、周囲の状況を確認しつつ防御した。傍目《はため》には何とも間が抜けて映るだろうが、そうしているうちに、魔法の集中砲火も、終わったようだった。魔力が回復した兵士から断続的に撃ってきているらしい。口周りも、魔法土から出した。しゃがんで丸まっていた状態から、その場に膝をつき、顔を庇って呼吸を整える。
「死体を運べ! 見つかる前に川へ!」
 若い女の声が聞こえた。
 複数の足音。
 どうやら、顔を庇う動作が、倒れ込むのと勘違いされたらしい。
 好都合だ。
 ログナは再び息を止め、横向きに倒れ込んだ。魔法土を体にまとったまま死ぬ兵士もいる。変に小細工はせず、目を閉じ、魔法土で体を覆ったまま、靴と、足音が近づいてくるのを待った。
 引き付けて、引き付けて、起き上がりざまに片手剣を抜いて、殺す。その惨劇をすでに起こったことのように感じていたログナは、そこで、場違いな馬の蹄の音に、その感覚を狂わされた。
 馬が、暴走と言ってもいいくらいの早さで、こちらへ近づいてくる。そのせいで、他の兵士の足音が聞こえない。このままではひとりも殺せずに終わる。
 ログナは馬の蹄《ひづめ》の音がさらに大きくなったところで、死んだふりをやめた。
 すぐに立ち上がって、片手剣を抜き去る。瞬発的に走って馬の正面から体をずらし、体を捻って勢いをつけながら、馬上にいるだろう兵士に向けて、片手剣を叩き込んだ。相手も、片手剣でそれを防いだ。ログナの、魔法土によって補強された片手剣でなら、簡単に折れる。そう確信して力を込めたが、折れなかった。うまく払われ、馬の鐙《あぶみ》と乗馬者の腰のあたりが目の前を通り過ぎ、蹄の音も遠ざかっていく。馬の速度が緩んだので、追いすがる。だが、その馬上の人間の横顔が見えて、ログナは足を止めた。
「ヴィーヴィ! 勝手な真似をするなとあれほど言っておいたでしょう!」
 女にしては低いこの声。
 ログナは状況も忘れてそのあまりの懐かしさに浸りそうになり、慌てて自分を戒めた。
「邪魔をしないでくださいクローセ様! こいつはここで殺しておくべきなんです!」
 声の聞こえた方から、何かが飛んでくる気配がした。これがテイニの言っていた飛び道具だろう。かわすことはできないと判断したログナは、魔法土を重点的に固めて防いだ。
 飛んできた方向に目を遣る。女――ヴィーヴィと呼ばれた女と、トライドが立っていた。どこかに隠れていたらしい。何か魔法に細工があるのだろうか。ログナはすぐに防御魔法を張れる状態を維持したまま、ヴィーヴィに近づいていく。
「動くな! この兵士が殺されてもいいのなら、動いてもいい」
 ログナは言われた通り、足を止めた。すぐ左に、馬に乗ったままのクローセの気配があるが、いまはそれを気にしている場合ではない。
「ログナ」
 額から頭頂部にかけてを赤い布で覆ったヴィーヴィは、背中に腕を回され縄で縛られたトライドを捕えたまま、ログナに言った。
「なんだ? お前に名乗った覚えはないが」
「降伏しろ。いまあんたを包囲してる」
 周りを見回すと、確かに包囲されている。逃げられるか逃げられないか判断に迷う絶妙の間隔で、兵士が配置されている。
 ログナは、ミスティに敵対しない形で会うことのできる唯一の可能性に賭けるため、初めから、抵抗しないと決めていた。
 このまま降伏すれば、捕虜としてどこかへ連れて行かれるだろう。ミスティが出てくるかもしれない。トライドが捕えられた時点で、それを当てにしてひとりで来た。
 だが、とログナは思う。この女は、何の理由からかはわからないが、明らかに、ログナを殺したがっている。降伏したとしても、約束を果たすかは怪しい。トライドもログナも殺されて終わりかもしれない。相手は、殺人や拷問をいとわない、盗賊団ということになっている。
「降伏するの? しないの?」
 どうするか判断できずに時間だけが過ぎ、ヴィーヴィが苛立ちの声をあげた。
 そこで、
「降伏して、ログナ。悪いようにはしないから」
 左から、クローセの声が聞こえた。尊敬するレイの昔の髪型を真似た、長い黒髪に、いつも眉間にしわが寄っているような険しい表情。それとは対照的に優しい抑揚の声。
 クローセは馬から降り、ヴィーヴィの近くへ、ゆっくりと歩いて行く。
「ログナと人質の少年兵の身柄はわたしが預からせてもらう。そうすれば、ログナは降伏する」
「それは駄目です。この男の身柄はわたしが預かります」
「身柄を預けたら、あなたはログナを殺すでしょう? 処遇は団長が決めることよ。二番隊隊長が出る幕はない」
「これ以上、ミスティ様のお心を煩《わずら》わせる必要はありません!」
「待ちなさい」
「ログナ、あんたの命を差しだせば、この兵士の命は助けると保証する」
「わたしの命令を無視するつもり!?」
「クローセ様、それ以上近づかないでください。いまわたしはこの兵士の命を握っています。わたしがこいつを殺せば、ログナはわたしと戦うことになるでしょう。あなたもそれは望まないはず」
 ヴィーヴィが、トライドをクローセに対する人質とまでして、ゆっくりとクローセから離れる。
「どうする? 部下の命を見捨てて命乞いでもする? そうすれば、あんたの命だけは救ってあげる」
「断る」
「じゃあ、死んで。今すぐ!」
「それも断る」
 言い終わるか終らないかの時点で、ヴィーヴィが、再び何かを飛ばしてきた。ログナはすぐさま防御魔法を発動させ魔法土で全身を覆った。それは容易く弾くことができた。
 ヴィーヴィが、驚きに目を見開いた。そして遮二無二乱射をしてくる。ログナは体の前面に防御を集中した。先程集中砲火を受けたときのように、殴られ蹴られているような衝撃に襲われるが、痛みはない。すべて、魔法土で防いだ。
「なんで死なないんだよ化け物!」
 ヴィーヴィはそう怒鳴ると、トライドを部下に任せ、両手のひらを、こちらに向けてきた。水のようなもの――いや、水が、球体を少し崩したようなかたちになって、ふわふわとログナの頭上に集まり始めた。話にしか聞いたことがないが、おそらく、水魔法。水の形状を操り、それを飛び道具として使っているのだろう。
 トライドの上にも、水の塊が出現した。頭上を浮遊する水の塊がいくつにも割れ、棒のような形状になった。
 ログナは笑った。
「やめとけよ、ヴィーヴィ。お前の攻撃は俺には効かない。その手を振り下ろしたら、その時がお前の最期だ。お前の首を貰う。お前の部隊も全滅させる。ミスティに殺されるまで徹底的に殺し尽くす」
「そんな脅し! 馬鹿に……馬鹿にするな!」
 ヴィーヴィが手を振り下ろした。
 しかしその瞬間、簡易結界魔法がログナとトライドの体を包み込んだ。同時に、突然現れた黒い霧が、ヴィーヴィの出したすべての水にぶつかっていった。水だけが消え、辺りには黒い霧が漂うばかりになった。
「ログナの武装を解除し、縄をかけろ。丁重に扱え」
 クローセは昔と何も変わらない冷静さで、部下に命令した。



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