23 溝


 ヴィーヴィ、ウィルフレドとともに隊列の中央にいたクローセは、チャロの報告をおうむ返しにした。
「何者かがつけてきている?」
「はい。たった二名ではありますが」
 チャロが頷いた。
 王都北部城塞に王国騎士団の生き残りたちが入ったとの情報を受けたのは二日前だった。
 ズヤラ砦に入って、人型の魔物による被害状況を確認したとき、四番隊から六番隊までがほぼ壊滅状態だということが、すでにわかっていた。おそらくログナも、王都北部城塞に入っている。この状態で騎士団の攻撃を受けては耐え切れないと判断し、すぐさまズヤラ砦を後にした。
 そしてミスティのいるはずのラシード砦に向かっている途中で、ヴィーヴィ率いる二番隊の選抜隊と鉢合わせした。彼女たちはちょうど、クローセたちにミスティの言葉――レイエド砦まで退くようにとの指示を、伝えに向かっていたところだったという。
 クローセはミスティに、人選を間違っていると、いますぐ伝えたかった。ミスティは彼女でなければこちらにたどり着けないと判断したのかもしれないが、ヴィーヴィとは、あまり折り合いが良くない。クローセとしては彼女に対して何も思っていない、むしろ可愛く思っているくらいなのだが、ヴィーヴィのほうは違った。ミスティを尊崇している彼女は、ミスティの無条件の信頼を受けてきたリル、バルドー、クローセのことをどこか敵視しているようなそぶりさえ見せてきた。はじめは子供らしい嫉妬のようなものだと思っていたが、成長していく中で彼女はますますこちらを敵視するようになってきていた。リルとバルドーが退団した最も大きな理由はミスティの気味の悪い行動にある。けれど間違いなく、ヴィーヴィを含めたグテル市の子供たちからあまりよく思われていない状況もあっただろう。
 グテル大虐殺で、大人という生物への不信を植えつけられた子供たちが心を開いたのは、クローセでもリルでもバルドーでもなかった。彼ら彼女らと同じくらいの年齢の、ミスティだった。できるだけ愛情をこめて接してきたつもりだったが、彼ら彼女らの母親代わりにはなれなかった。
「わかった。すぐに馬をやって捕えさせて。逃げるなら、逃がして構わない」
「いいえ」
 耳敏く情報を聞きつけたヴィーヴィが、兵士たちをどけさせ、馬をクローセの隣に寄せてきた。
「絶対に捕まえて殺すべきです。どこから情報が……」
 と、そこまで言いかけて、ヴィーヴィは何かに思い当たったようだった。
「もしかして、それは、ログナ・マグリットの手の者では?」
 クローセは、ヴィーヴィからその名前が出たことに驚き、どこから情報が漏れたか考え、すぐにウィルフレドを見た。
 クローセに対してでさえ、こうなのだ。ミスティが今でも話題に出すログナのことになろうものなら、過剰に敵視するに決まっている。だから、付近にログナがいることはヴィーヴィには知らせないと、決めていた。ウィルフレドにもそれを伝えたはずだったが、どうやらウィルフレドもヴィーヴィ側の人間だったようだ。左前方の馬上からこちらを盗み見るようにしていたウィルフレドと、視線がかち合う。彼は慌てて顔を背けた。
「だとしたらどうなの?」
「殺すのはやめです。捕えましょう。捕えて、餌にします」
 額から頭頂部にかけてを覆う、血のような赤染めの布。白で刺繍された、正方形のなかの斜め十字。無を意味する、カロル兵団の紋章。
 グテル大虐殺を生きのびた少女は、家族や友人全てを奪った魔物と、グテル市の救援要請を無視した王国への激しい憎悪から、何度も臨死体験をするほどの訓練と実戦を重ね、いまやクローセと並ぶ力を手にしている。

 大休憩を伝えたあとで携帯用の椅子に座り、魔物の外皮にのせられた魔物の肉を摘まんで齧っていたクローセは、
「捕えましたよ」
 と言う声を聞いて、食べるのをやめた。馬上のヴィーヴィと徒歩の部下が引き連れてきたのは、まだ年若い少年のような兵士だった。彼の肩からは、血がにじんでいる。あまり大きな傷ではない。おそらくヴィーヴィの魔法にやられたのだろう。
「意見を仰ぎに」
 そう言って、ヴィーヴィは馬上から降り、手に持っていた馬の手綱を部下に預けた。
 ヴィーヴィは少年兵の背後に回ると、乱雑に突き飛ばした。態勢を崩した少年兵が、顔から地面に倒れ込んだ。
 クローセは顔には出さなかったが、ヴィーヴィのその行動に強い不快感を覚えた。
「この兵士は何か喋った?」
「いえ。なかなか口を割りません。拷問にかけましょうか」
「待って。あなたは簡単に拷問をやろうとしすぎる」
「わかりました。では言葉でやってみます。あんたはどこの部隊の所属?」
 幼く、どこか頼りない印象のある表情の彼は、どうにか態勢を立て直して、膝立ちになった。
 近くにいるヴィーヴィではなく、わざわざクローセのほうを見上げている。
 ここに来るまでに暴行を受けたのか、右目や左頬のあたりが青黒く腫れている。それとは関係なく、何か話したいことが喉につかえているような表情だ。何故だろう。
「名前は?」
 答えない。
「名前くらい言ってもいいんじゃないの」
 答えない。
「目的は?」
 まだ、答えない。
「いつから後をつけていたの?」
 答えなかった。ヴィーヴィが、少年兵の顔目がけて拳をぶつけようとした。
 クローセは簡易結界魔法で少年兵の顔を包んだ。ヴィーヴィの拳が弾かれる。彼女は驚いたように、クローセを振り返った。
「あなたはログナの部下ね」
 クローセはヴィーヴィには何も言わず、少年兵に対して呟いた。少年兵は何の反応も示さなかった。
「答えなくてもわかる。絶対に隊の情報は漏らさないと、決めているようだから。いまのこの付近にいる王国側の部隊長で、それだけの忠誠心を植えつけられるのは、おそらくログナしかいない。あなたは黙秘するのではなく、口から出まかせを喋るべきだった」
 クローセが言うと、少年兵の目が少しだけ泳いだ。
「この子をどうやって餌にするつもり?」
「それはご心配なく。もう一人をわざと逃がしたので、ログナはここまで追いかけてくるはずです。本当にミスティ様やクローセ様がおっしゃる通りの人間なら、ですが」
 頭の回転がそう速くないヴィーヴィにしては、良い判断だ。ミスティに関することとなると、目の色が違う。
「来る。絶対に」
 クローセが断言すると、ヴィーヴィが鬱陶しそうに顔をしかめ、少年兵が驚きに目を見開いた。少年兵はそのあとで、俯いた。
「では、わたしがこの辺りで罠を張っておきます。クローセ様は先に」
「ウィルフレド!」
 クローセはヴィーヴィが言い終わるより前に、三番隊隊長の名前を呼んだ。
「はっ」
 ヴィーヴィにログナがいることを伝えたらしい彼は、どことなく肩を縮こまらせてこちらに近づいてきた。
「隊列を維持して先行して。一日くらいで追いつくから」
「わかりました」
 クローセはウィルフレドから目を切り、ヴィーヴィを見た。
 彼女は唇を結んでやや俯き加減に地面を見ていた。面倒なことになったとでも考えているのだろう。
 ……暴力を振るうしか能のない子供に、ログナを殺させてたまるか。



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