22 魔石集め
「魔法が使えなくなりました」
初めにそう言ったのはイシュだった。
ログナは言われてすぐに、どうして自分を含めた誰もが気づかなかったのか、不思議に思った。魔法が使える、その事実があまりにも当たり前すぎて、頭に上らなかったのかもしれない。五人の中で試したところ、魔法を使えるのはログナとトライドとラヴィーニアの三人だった。
いまはイシュに、各人への聞き取りに向かわせている。
立ち上がったルーアが、魔法を出す体勢になっては魔石を見て、魔法を出す体勢になっては魔石を見ている。
「嘘……本当に出ない……」
「敵の魔物は、かなりの知能があるようですね。魔法の源泉の存在を知っていて、破壊までするとは思いませんでした。やはりフォードが敵に加担していると考えるのが自然ですかね……動機もありますし」
トライドの言葉に、ログナは応えなかった。もう、予断は持つべきではない。
「それより魔石だ。早く魔石を探し出さないとならない」
「でも、魔石を手に入れても、魔法陣を扱える人間が……」
ルーアは言いかけてから、ときどき瞬きをする以外は、人形のようにぴくりとも動かない王女、ラヴィーニアに目を遣った。
ラヴィーニアは視線に気づくと、色の薄い睫毛をしばたかせながら、ルーアの目を見つめ返した。
「ご安心ください。魔石さえ見つかれば、わたしが魔法陣を描いてみせます。もちろん『始まりの石』を使った本式のものより威力は落ちますが、ある程度の威力も保証します」
「助かりま……じゃねえ、助かる。このあたりの魔石がある遺跡だと……ズヤラ遺跡だな。十年前なら確か採れたはずだが、あの場所は今も採れるのか?」
「まだ採掘は続いていましたが……魔物の襲撃によって陥落し、いまは隣接するズヤラ砦とともにカロル盗賊団の支配下になっているはずです」
トライドの答えに、ログナは思わず舌打ちした。
「弱すぎる。そこまで弱体化してたのか」
「王宮でも、様々な装飾品が売られ、日に日に食事が質素になっていくので、不安を覚えていました。けれどレイ様が、そんな状況をひとりで支えておられました。人をあまり信頼なさらないお父様も……国王も、レイ様には全幅の信頼を」
ラヴィーニアが、呟く。
ログナは目頭が熱くなるのを感じたが、どうにか堪え、
「レイがいなくなったいま、人類は滅ぶしかないってわけか」
皮肉を言ってごまかした。
「隊長がいます」
ルーアが言った。
「それにわたし、黙って魔物に喰らわれるつもりなんて、ありませんから。沈んでる暇はないですよ、隊長。魔石を手に入れたら、カロル盗賊団を利用してレイ様の仇討ちです!」
「とにかくまずは、ズヤラ遺跡ですね」
トライドがルーアのあとを引き継いで言う。
ログナは笑った。
魔王討伐隊を、思い出したからだ。
カロルが死んでから思い出は美化される一方だった。けれど、よくよく思い出してみれば、カロルもカロル一人で全てやっていたわけではない。クローセの膨大な知識量の前に、彼はよく言い負かされていた。カロルが良い隊長だったのは、それぞれ異なる得意分野をもつ隊員たちの意見をうまくまとめていたからだ。すべての策をカロルが思いついて、すべての魔物との戦いを完遂できたわけではなかった。
隊員の毛色は異なり、年下しかいないが、やることにかわりはないはずだ。レイのように、ひとりですべて背負い込むような芸当は、自分にはできない。カロルのように、部下に助けてもらう隊長が、自分には合っている。
「班分けをどうするかだが……。魔法を使えるか使えないかでいいか? ミスティはズヤラにはいないだろうが、魔法も使えない人間を連れて行くのは怖い。廃墟で身を潜めている方が格段に安全だ」
「それは、そうですね」
ルーアが頷く。
「ただいま戻りました」
声の方に目を向けると、木の枠だけ残っている玄関に、イシュが立っていた。
「いまのところ使えるのはテイニだけのようです」
ログナは呻いた。
「三人か……戦闘は避けるしかないな」
「わたしは頭数に入れてもらえないのですか?」
ラヴィーニアが、やや顔をしかめて、不満げな顔をしている。
「さすがに、難しい」
「わたしの魔法は、そこまで悪くありませんよ」
そう言った王女は、長い髪を揺らしながら立ち上がる。そして手振りで、トライドとルーアとイシュを、ログナが座っている近くに移動させた。彼女自身は、両方とも白い手袋をつけた手を、丸い物を包み込むようなかたちに動かした。するとその空間に光が満ち溢れ、それが丸い球《きゅう》になった。直視すると眩しいほどの明るさと白さ。王女は、それを床に落とした。いや、床に落ちる直前で止めた。それから右手の人差し指だけを少し動かすと、球は一瞬のうちに二階に移動していた。王女がやさしく右手を動かし続けると、今度は空間を自由自在に行き交い始めた。あまりにも見事な、魔力操作技術だった。
彼女が座ると、その球も消えた。
「いまの球は、触れたものを削ります」
「削る?」
「刃のない刃物とでもいえばいいのでしょうか。使い手以外がこの球に触れると、触れた部分は、そのまま砂粒ほどの大きさにすり潰されてしまうらしいです。伝承によれば、どんなに硬い鎧を着ていても防ぐことはできない、と」
口ぶりからして、さすがに使ったことはないようだが、物騒な技をもっている王女もいたものだ。
「あっ、危ないでしょ! やる前に言ってよ!」
「どうですか? この技のほかにもたくさん、いい魔法がありますよ」
ルーアを無視して、ラヴィーニアはたおやかに首を傾けて見せた。
「いや。やはり体力面で不安があるから連れてはいけない。その代わり、ここに残った奴らを、その魔法で守ってやってくれ。頼む」
ログナが言うと、
「まあ、そういうことでしたら」
とラヴィーニアも機嫌を直した。
そのラヴィーニアの様子を見て、ルーアが首をひねる。
「ねえ、さっきからどうしてそんなに元気なの? ふつう、王女って肩書きが取れるのに抵抗あるはずだし、こんな状況になったら、心細くて仕方ないと思うんだけど。なんだか、楽しそうに見えるくらい」
「それは、そうですよ。楽しいですから」
ラヴィーニアは即答した。
「わたしはずっと儀式の世界に閉じ込められたまま死ぬのかと思っていました。こうなった以上、外の世界を存分に楽しませてもらいます」
その明るい笑顔に、ログナはどこか後ろ暗さを感じた。ただの儀式のための道具として、彼女をこの境遇に押し込めていた人々への、恨みのようなものが見え隠れしている。
ラヴィーニアは、兄が殺されたと聞かされても顔色一つ変えなかった。侍女の遺体に埋もれて助かったという事実にも、衝撃を受けている様子もなかった。ルーアの、平時なら処刑ものの無礼にはさすがに反応したが、王女という立場にもさほどこだわっていない。王国が滅亡したかもしれないというのに、それすら他人事のようだ。言葉通り、自由になる機会を待ち望んでいたのかもしれなかった。
ロド王国を再興するためには、この王女は、よくない。どこがよくないのかはわからない。うまく言葉にできない漠然とした不安が広がるが、いまは無視するしかなかった。
ズヤラ遺跡は廃墟群からさほど離れていないので、馬は使わず徒歩にした。それでもすぐに着いた。
ログナとテイニは、魔石を入れるための壺――廃墟から持ち出した広口《ひろくち》の壺を抱えて、先導するトライドのあとに続いた。近くのズヤラ砦の出入り口に歩哨が立っているのをトライドが見つけたが、木々や遺跡の周辺に点在する石壁に隠れながら近づき、やり過ごした。いま大事なのは、カロル盗賊団を潰すことよりも、魔法の供給源を確保することだ。
ズヤラ遺跡は比較的新しい採掘場だが、王都に近いおかげか、入り口からきちんと整備されている。周囲の石の性質から、もともとはただのほら穴だったと思われる入口は、大きく拡張され、補強されている。そこにはめ込まれた鉄格子の扉には、鍵がかかっていた。
ログナは壺をいったん脇に置き、防御魔法を使って魔法土で右手を覆い、鍵穴の部分を何度か殴りつけた。やがて鍵が壊れて、扉が向こう側へ口を開けた。
入り口は南向きになっているが、雨がぱらつく空模様のせいもあり、暗くて中は見えなかった。
ログナは入り口から退いた。
「トライド、先導を頼む」
「はい」
トライドが右手をあげ、炎魔法を少量、出し続けるようにした。炎魔法の使用者は松明《たいまつ》いらずだ。一気に辺りが明るくなったが、先は見通せない。トライドを先頭に、テイニ、ログナの順番で、吹き込んだ雨に濡れた岩を、ゆっくりと踏みしめながら、ほら穴の中に下りていく。底冷えするような、ひやりとした冷気が、洞窟に漂っている。
岩を下り切ると、足元が岩から砂利に代わり、歩きやすくなった。壁際にろうそくが備え付けてあるだけの質素な道を行く。このあたりはおそらく、すでに採り尽くされたのだろう。やがて、行き止まりになった。そこには荷運び用の手動巻上機《しゅどうまきあげき》のために開いた穴と、梯子《はしご》が架けられた穴の、二つがあった。
トライドが梯子の方に半身を入れ、一段一段、確かめるように下りていく。テイニとログナも続いた。左手に壺を持ち、右手と両足を使って地下に下りていくと、さらに気温が下がった。
「寒い……ですね」
テイニがぽつりとつぶやく。
「ああ。寒い」
「ずるいなあトライドくんの魔法……。もっと火力強くできない?」
テイニがまたぽつりと呟いた。階級的には、二等騎士のトライドよりも奴隷剣士長のテイニのほうが上だが、それでも、敬語は必須だ。トライドのほうから、敬語を使わないでほしいと頼み、テイニも了承したようだった。
「それはさすがにきついですよ……。あ、隊長、しばらく屈んで歩いてください。隊長の身長だとぶつかりそうな岩が」
静かな洞窟の中で声がよく反響する。言われた通りに屈んで歩く。
「テイニさんは、イシュさんとはどのくらいの付き合いになるんですか?」
「ん? あー……。魔王が暴れまわってた頃に一緒に戦ったから、もう十一年か十二年くらいになるかな。初めて会った時のことはもうあんまり覚えてない。あのころは思い出したくないことばかり起こったから」
「あ……すみません。無神経に」
「気にしないで。でも、強烈に覚えてることがあるよ。イシュはね、昔はわたしよりずっと弱かったってこと。奴隷剣士のなかでもかなり下の方だったんじゃないかな。あのころは、人が死ぬことについての感覚が麻痺していて、誰が次の戦いで死ぬか、なんて趣味の悪い賭けをしている連中がいたんだけど……。イシュはいつもその賭けで一番人気だったみたい」
「いまのイシュさんからは、ちょっと、想像できないです」
テイニが笑う。
「うん。ちょっと難しいよね。たぶん、今のわたしとイシュがやったら瞬殺されちゃう」
「テイニも、相当の技量があるように見えたが」
ログナは王都北部城塞での戦いを思い返しながら、言う。
「わたしも、王国軍の中ではそれなりに腕は立つほうだという自負はあります。でも、イシュはもう、奴隷剣士の中では別格です」
「ロド王国全体の中でも、イシュに敵う奴はそういないだろうな」
「そうかもしれません」
「どうして、あそこまで強くなれたんでしょうか」
トライドが、どこか羨みを交えて言った。
「聞きたい?」
テイニが、物寂しげな声色で問い返す。
「あ、えっと、いや、本人のいないところであまりいろいろと聞くのも、申し訳ないですから」
テイニが小さな声で笑った。
「いい子ね」
再び、洞窟の中に静寂が訪れる。三人が砂を踏む足音だけが響く。
トライドの右手が照らし出す壁が、徐々に徐々に間隔を広げていく。
つるはしが落ちていたので、壺を抱えていない右手で拾うと、
「あ、ありましたね。青い魔石がありますよ」
「色が透き通ってる。質も期待できそう」
少し離れた場所でトライドとテイニが言った。
「つるはしがあった。掘るから少し離れててくれ」
「あ、いえ。わたしが風で切断します。そのほうが切断面もきれいですし」
「そうか。風魔法はそういう使い方もできるんだったな」
「イシュには負けますけど、わたしの風魔法の切れ味もなかなかなんですよ」
愛着ある道具を紹介するような口ぶりで言ったテイニが、魔石の上部に右手をかざした。
「耳を塞いでいてくださいね」
言われた通りに耳を塞ぐ。直後、魔石を削り取る甲高い音が聞こえ始めた。洞窟の狭い空間で反響して、耳を塞いでいても非常にうるさい。鳥肌の立つような音だ。
しばらくその音が続き、最後にひときわ甲高い音が聞こえ、静かになった。
「もういいですよ!」
とテイニが怒鳴った。
トライドが炎魔法をテイニの足元に近づけると、そこにはちょうど壺に入るくらいの大きさになった魔石の塊がふたつあった。
「すごい!」
それを見たトライドが感嘆の声をあげながら三度、手を叩いた。
「もっと褒めてくれてもいいよー」
テイニが笑いながら、自分の持っている壺に魔石の塊のひとつを入れた。ログナは残ったもう片方の塊を、左腕に抱えた壺に入れた。それからまた、トライドとログナが位置を変え、トライドを先頭に、もと来た道を引き返す。
梯子のある場所まで戻ると、左腕に魔石の入った壺を抱えたテイニがゆっくりと上って行く。ログナはテイニが落ちたときに受け止められるよう下で待機していたが、上り終えたのを確認して、自分も上った。
やがて出口に近づいてきたころ、
「さっきのは」
と、テイニが、トライドに話しかけた。
「え?」
「イシュが強くなった理由。別に隠すことじゃないんだ。ただ単に、死に物狂いで実戦と訓練を重ねただけだよ……トライドくんもああなりたいなら、努力するしかないと思う」
「そうですか……やっぱり、そうですよね。僕も頑張ります」
「でもね」
テイニは言った。
「怖いくらいに強くなったのは、イシュが感情を表に出さないことを覚えてから。戦闘のために感情を犠牲にするようになってから。昔はよく怯えて、よく泣いて、よく怒って、よく笑う子で、その感情の揺れ動きが、戦うのに邪魔だったんだけどね……。友達のひとりとしては、そこそこの強さでいいから、あのままのイシュでいて欲しかったって思うことも、あったりするの」
テイニはそこで、小さく笑った。
「でも皮肉だなあ。感情を殺したイシュがいなければ、イシュがあの強さを手に入れていなければ、わたしは北部城塞で死んでたんだから」
「テイニさん。それは、ちょっと、違うかもしれません」
「え?」
「イシュさんは、あなたを助けようとして、隊長の命令をあっさりと無視しました」
トライドの言葉を聞いて、テイニがログナの方を振り返る。ログナは頷いた。
「ああ。あの馬鹿は、ノルグ族を……お前を助けるために、命令無視してひとりで三ノ砦に突っ込みやがった」
「え? イシュが……ですか?」
「僕が見た範囲では、イシュさんの感情は死んでいません。表に、出さないだけで」
トライドがそう言ったが、しばらくテイニは応えなかった。
そのうちテイニが何度も鼻をすする音が、聞こえてきた。
ログナは微笑んだ。
いい友人が、イシュには居る。
「いい部隊に、イシュは居るみたいですね」
自分が思っていることを口に出したかと思って、驚いた。
唐突に褒められ、どこか気恥ずかしさがあった。
「あいつがそう思っているかは別だけどな」
入口付近の岩場を踏みしめながら、ログナは言った。
ふふ、とテイニは笑った。
「ロド王国の人でいまのイシュを従わせられるのは、きっと、ログナ様だけでしょうね」
表に出ると、雨は上がっていた。
「そうだ。忘れてました」
トライドがそう言って、ログナのほうを向く。
「ここに来る前に考えていたんですが、ここに、ズヤラ砦の見張りとして二人を残していくのはどうでしょう? カロル盗賊団の動向がつかめるかもしれません」