ヒトクビオロチと生けにえのクロ

エピローグ


 うとうとしていたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 よだれを右袖で拭きながら起き上がると、肩にかかっていた布が落ちた。
 ミュステがかけてくれたのだろう。
 拾い上げ、そのままベッドに布をほうった。ミュステはもう、ファタおばさんとイウェのところへ出かけたらしい。

 軽く伸びをしてから、水がめのあるほうへ歩き、水面に顔を映した。
 ななめに巻きつけ、硬く縛った布がしっかり右目を覆っていることを確認してから、木戸に向かった。
 右目、右頬、右肩、右腕、右脇腹、右脚。わたしの右半身の大部分が、異様な黒い紋様に覆われている。あまりにもまがまがしい姿なので、人前に出るときはそのほとんどが隠れる服装をしている。右目は特にひどく、それを見たオロチの言い方によれば「信じられないほど濃い赤に、蛇のような黒い瞳が光っている」という状態らしいから、自分でもあまり見たくない。


 じいちゃんは前に、オロチの精神体は『現実にはほとんど干渉できない』と言っていた。
 ――「ほとんど」、ね。
 苦笑いしながら、木戸を押し開ける。

 途端に、強い日差しが左目を射た。この暑さのなか長袖の服を着るのは嫌だけれど、仕方がない。あの紋様を見せたら、ようやく打ち解け始めてくれた村人たちを、また遠ざけることになってしまう。


 復旧した村はずれの祠のすぐそばには、きれいに整形された石が積まれつつある。
 村人が言うには、新しい村長《むらおさ》の家。わたしがオロチの相手をしながら、仕事をするための家だそうだ。
 兄様が住むデナ村の力も借りて、ベイエス村を滅ぼしてから――こちらの被害はなかった――前の村長がわたしに地位を譲ると言い出したせいで、めんどうなことになった。
 疫病に対処ができる古老とその家族だけを殺さずこの村へつれて帰り、疫病を沈静化することに成功したからだった。

「よお、クロ」

 べたあっと地面に顎をつけたオロチが、目を閉じたままで言った。

「おはよう、オロチ」

 わたしはオロチの頭の近くまで行って地面に座り込み、背中を、オロチの口の端に預けた。

「お前、村長になるんだってな」

「そうみたい」

「知ってるか? 最近、人間の世の中には、いくつもの村を力でまとめて、椅子に座ったまま村人に貢がせる、王って野郎が出てきたらしいぜ」

「ふうん。それが?」

「お前、王になれよ。ふたりで組めば楽勝じゃねえか」

「ばーか」

 わたしは言って、オロチのうろこを左手の甲でかるく小突いた。

「また殺されかけるよ」

「クサナギの槍が使えるようになったんだから、大丈夫だって」

「嫌」

 頭を軽くぶつけてやった。

「いてっ! そこまだ治ってねえんだよバカ」

「向こうから仕掛けてくるなら、わたしもためらわないけどね」

「お前の異母兄たちだって、ベイエス村との戦いでお前の力を見ちまったから『クロが王になれば』って野望を膨らませてると思うがなあ」

「兄さまたちをオロチと一緒にしないでよ」

「いやあ、お偉いさんの一番の敵は肉親だぜ、クロよ」

「わたしはただの村長」

 オロチはわたしを説得するのは無理だとさとったのか、何も言わなくなった。
 わたしもあえて話したいこともなかったので、ぼうっと空を見上げた。
 日差しが朝のものから昼のものに移り変わりつつあり、汗がひとしずく、服の内側を流れていった。


「なあ」

「ん」

「お前……その、俺様を恨んでねえのか」

「なんで?」

「だから、あのときのこととか、体の右側のこととかだよ」

「だって、オロチが力を分けてくれなかったら死んでたし」

「だからって、俺様の……人間が言う、バケモノの力が混ざっちまってよ……。俺様が人間を支配するためにお前を利用しようとしてるとか、そういうのも、あるだろ、人間から見たら」

 思わず頬がゆるんだ。
 誰にも信じてもらえないだろうけど、かわいいところもあるんだよなぁ、このバケモノって。

「大好きだよ〜オロチ」

 ふざけて言いながら、わたしはオロチの口もとをくすぐるように撫でた。
 むずがるオロチが口を開いて牙をむき、生臭いにおいが漂ってきたが、

「ケッ」

 吐き捨てるような音がオロチののどからじかに聞こえてから、すぐに閉じられた。
 わたしは笑って、目を閉じた。