Scene7

 夜になって、ようやく那岐原が戻ってきた。
 玄関にほど近い台所で一人分の夕食を作っていた御津は声を掛けようかどうか迷ったが、那岐原が視線を合わせてきたので、聞いた。
「夕飯、要る?」
「……要る」
 少し間を置いて答えて、さっさと割り当てられた居間に戻っていった。御津は「要らない」という答えを期待していたから、溜息を吐いた。死体遺棄。殺したわけでなくとも、その重みは消えることはない。冷静に見えた那岐原を激昂させ、殺そうか、とまで言わせ実際に殺されかけた自分の行いは、まだ許されたわけではないだろう。出来ることなら明日の朝まで顔を合わせたくはなかった。
 御津は冷蔵庫の残り物で野菜炒めを作っていた手を止め、菜箸を使って皿に盛った。自分はインスタントのラーメンにしようと思い、鍋に水を張り、フライパンをどかしてそこに置いた。
 
「昨日はごめん」
 辛めに味付けした野菜炒めでご飯を口に運んでいた那岐原が、突然無言の食卓を遮り、呟くように言った。
 あまりに意外だったので、御津は那岐原の言葉の意味が良く分からず、訊き返してしまった。
「昨日?」
「だから……銃、向けたりして、ごめん」
「あ、ああ。別に、俺は……」
「……この部屋にいると無理にでも意識させられるから、余計に、苛々して……」
「え?」
「笑っちゃうよね。自分で殺しといて」
 気のせいかもしれないが、彼女は少し怯えたように言った。
 那岐原はそこで話を止めて、またご飯を口に運び始めた。意図が良く分からず、御津は首を捻ったが、那岐原はそれきり口を噤んでしまった。



Scene7《十二月四日 夜明け前》



 まだ部屋は薄暗い。早くに目を覚ましてしまい、再び眠ろうとしたが果たせず、御津は目を閉じたまま時間が過ぎるのを待った。早く起きても特にすることはないし、もう一度眠ることを諦めているわけではなかった。
 しばらくそうしていると、がたん、と擦りガラスに何かがぶつかるような音がした。それから戸が開かれ、足音が近づいてくる。目を開けて確認しようとすると、肩口から背中にかけて細めの紐で吊られ肌が露出した、薄手の黒のワンピースを着た彼女が、御津の上を跨ごうとしている所だったので、慌てて目を閉じた。彼女は御津の顔の近くにある布団の余白を踏みしめて洗面台に向かい、恐らく……吐いていた。自分が一昨日までやっていた吐き方と、似ている気がした。
 気配が遠のこうとしたところで体を起こして、彼女を呼び止めた。
「……起きてたんだ?」
 彼女は振り返って肩を微かに竦ませた。気まずそうに目を合わせてくる。
「昨日、言ってたのって美奈の事か?」
「昨日?」
 それなりに整えられている眉を動かし、訊き返してきた。
「ほら、意識させられるとかなんとか……」
「ああ……」
 掛け布団をどかして立ち上がり、ダイニングテーブルに寄り掛った那岐原の背中を見つめた。
「……早瀬が、悪いんだよ」
「俺が?」
「妹が殺されたのに平気そうに、顔突き合わせて……素直に責めてくれれば、こんな話、しなくていいのに」
「……またそれか。俺にそんなことする権利ないって、分かってるだろ。那岐原の怒りは正当だけど……俺がしたって、ただの八つ当たりだ」
「本当にそう思ってるの? だとしたら、随分立派な心の持ち主なんだね。早瀬は」
「しつこいな、お前も。那岐原が撃たれて、撃ち返した。それで終わりでいいはずだ」
 皮肉めいた口調で言われ、御津は多少苛立って答えた。昔の事件を教え、それに密接に関連していたことが分かった自分を殺そうとするほど激昂し、だというのに次の日には自分から謝り、その次の日にはまた責める側に転じる。那岐原はいったい何が言いたいのか分からない。
「へえ? 終わりでいいの?」
「前にも説明しただろう! もう、俺の中では整理がついてる。これ以上その話を蒸し返さないでくれ」
 これ以上言われれば、既に心の奥底に沈殿させた悲しみや納得できない気持ちが、再び今ここに自分の気持ちのあるところまで、浮上してきてしまいそうだった。
 彼女はそんな御津の心中を見透かしたように、振り向いて笑った。
「むきになるってことは、まだ整理がついてない証拠じゃない。それに、御津は私のことを知らないからそんなこと言ってられるんだよ。……あいつを、美奈を殺した時の私が、何を思っていたか」
 そう言うと、少しずつ距離を詰め、彼女は御津の目の前に立った。やや低い目線から、柔らかく見上げてくる。
「やっと殺した。やっと、自分の手で、制裁を加えることができた。……あの、殴りつけただけで壊れそうな木壁、わざわざ手榴弾を使う必要なんてあったと思う? 粉々になったあいつの身体を見た時、私は嬉しくてしょうがなかった。汚い臓物にまみれた髪の毛も、無様に残った下半身も、それから……」
 御津は衝動的に、彼女の腕を掴んで、布団の上に投げ倒していた。頭が床に直接当たり、彼女は呻いた。
 そのまま首を絞めようと掴んでしまってから、御津は我に返り、力を抜いた。
「そうだよ。そうやって、怒れば、いいんだよ、最初から」
 笑いながら、彼女は言った。しかし笑んでいるはずの彼女の眼からは、涙が零れて目元を伝っていた。
「なんで、泣く……」
 湧き上がった怒りの振り降ろし所が無くなった御津は、仰向けのまま右腕で両目を抑える那岐原の隣に座った。
「もう、疲れた……」
 彼女は言葉通りの感情を立ち昇らせている。益々理解しがたかったが、次に発せられた言葉で、御津はここ最近の彼女の行動に合点がいくような気がした。
「憎かった。あいつのことが……父さんを悪者に仕立て上げた世間の事が。あいつを憎むことが、私の、世間に対抗する唯一の源だった。でも、そうしている間に、いつの間にかあいつが、生きる理由になってた。あいつを……憎しみの対象であったはずのあいつを殺して、憎む者を亡くしたと同時に、私は何かを失くしたの。それに、人を殺すということが、こんなに、こんなに……苦しいものだなんて、想像できなかったから。あいつの、生活の痕跡を見つけるたびに、私、もう、どうしていいかわからなくなって……でも、早瀬が、思ったよりいい奴だったから、なんとなく、整理がつきそうになったんだよ? それなのに、俺も加担したなんて、言うから、また、わけがわからなくなった。だから、早瀬が悪い」
 所々突っかかりながらも最後まで言い切った那岐原は、腕をどけて、体を起こした。そして胡坐をかいている御津の膝に、縋るように触れた。
「ねえ、父さんを埋めたことなんて、いくらでも許してあげるから、怒ってよ。責めてよ。妹を殺した下衆だって、蔑んでよ。そうすれば、あいつに加担した早瀬のことも、ちゃんと、憎めるから。私はもう、ずっと、ずっと、父さんが死んでから、ずっとあいつを憎んでたの。あいつの、兄貴なんでしょ? なら、代わりに私の、憎しみの対象になって。いいよ、刑務所なんかに入らないで。そんな反省要らない。遺族の私が言うんだから、世間の法律なんて、関係ない。ずっと、憎ませて、私が、生きる理由になってよ……」
 少しだけ褐色がかっている肌を露出している腕が伸びて、御津の左肩辺りを、その手先が掴んだ。部屋はまだ薄暗い。
 夜明け前の部屋で、どこか恍然とした表情になった那岐原が、視線を絡めている。
 なぜか突然、美奈の顔が浮かんだ。
「それが無理なら、今、ここで殺して」
「は……な、那岐原。しっかりしろよ。そんなこと、できるわけないだろうが」
「大丈夫。この任務で死に至る要因なんていくらでもある。敵拠点の探索中に突然射殺された、とでも言えば、平気だよ。誰も本当の事は分からない。誰も早瀬を裁くことはできない」
「そういう問題じゃねえよ。だから、なんていうか、俺だって、那岐原の父さんを殺した美奈に加担した呵責感じて……。任務以外でまで人を殺すなんて、絶対御免だ」
 御津が言うと、那岐原は左肩にかけた腕を御津の背中まで伸ばし、顔を近づけてきた。そのまま、御津の右肩に那岐原の顎が乗った。抱きしめられる格好になった耳元で、吐息混じりの彼女の声がする。
「なら、責めて? さっき私を押し倒したみたいに。早瀬も本当は、責められたいんでしょ? 私に責められた夜、悪夢を見た? 見なかったよね? 随分すっきりした顔つきだった。だから、責めてくれたら、私もあなたのことを責めてあげられる。その方がお互いに、良いと思わない? 一人なら無理だけど二人だったら、耐えられる」
 確かに、那岐原に責められた夜は悪夢も見ることなく、久方ぶりに充足した睡眠を味わうことができた。寝覚めも良く、気分もいつもより断然上向きだった。美奈を殺された時に沈殿させた気持ちを抑えることなく彼女の事を責めるだけで、それだけで、憎まれるべき対象となり、呵責から逃れられるなら。なんといいことだろう。しかし、この提案に乗っては駄目だ、と御津は思った。
 あの時の美奈と、今の那岐原。どちらも同じ臭いがする。
 人が、一般の倫理から著しく外れ、堕落しようとしている時の臭いが。
 美奈が、笑っている。そんな感覚が、快楽に傾きかける思考を遮った。那岐原の……普段は冷静で無愛想な女の見せる恍然とした表情、やさしく滑る肌や、たった一枚の布を挟んで伝わる乳房を感じて、自分も那岐原の背に手を回し、身を任せたいという衝動、美奈の時のように妹という枷もなく、ただの女として目の前に存在する彼女を押し倒し、そのまま淫靡な触覚に身を任せようとする衝動に、御津は抗った。心地の良さを感じている自分を蔑み、御津は、那岐原の身体を押し返した。
 今の那岐原は、那岐原ではない。人を殺したという圧力に潰されかけ、憎む相手を失い生きるべき理由をも失い混乱している、一人の女だ。
 少なくとも、『気付いたら、素直に笑えなくなっていた』と自分の弱さを悔い、弱音を吐いた彼女ではない。楽しげにバイクを駆使していた彼女ではない。
 那岐原の肌から目を逸らすように、立ち上がった。そして、部屋の隅の置かれた、デイバックと目を合わせた。
「……殺してくれるの?」
 御津の視線の先を見た那岐原が言ったので、御津は頷いた。デイバックには、戦闘時のために配られた銃器が四丁入っている。
「外に出よう。なるべく人目のつかないところに」


 夜明け前の公園には、誰もいなかった。川村が健在だった頃に、最後にゆっくりと話をした公園。
 いくらシンガポールといっても、夜明け前はそれほど気温も高くない。隣に立っている那岐原は、下着のようだったワンピースの上から自前の薄手のコートを羽織り、公園の一番高い丘から、眼下に広がる景色を眺めていた。極彩色に広がる熱帯の植物たちを見て、彼女は何を思っているのだろう。
 御津は持ってきた鞄を降ろした。鞄には、デイバックから一丁持ち出してきたグロックが入っている。
「殺す気、ないんでしょ?」
 景色を見下ろしたままの彼女は、呟くように言った。
「逆に、訊くけど。……まだ、殺してほしいのか?」
「今は……分からない。さっきの自分は、自分でもおかしかったと思うけど」
 彼女はコートに心持ち顔を埋めて、言った。御津は、その言葉には反応しなかった。
 外に那岐原を連れ出したのは、勿論殺すためではなかった。目の前に転がった情欲の欠片に自分の理性が耐えきれない可能性があるというのも理由だったが、あの、美奈の痕跡が残る部屋から連れ出せば、那岐原も落ち着くのではないかと思ったからだ。しかし彼女は、そんなことを言ってもついて来てはくれなかっただろう。だから、殺してくれるのか、という問いに頷いた。
 実際、歩いているうちに、那岐原は少しずつ落ち着いてきていたようだった。あの状態のままだったら、早く殺してと叫んでいたかもしれないが、今の彼女は落ち着いていた。
 そんな那岐原を前にした今なら、先程感じた想いを言葉にできそうだった。
「那岐原」
 ん、と物思いに耽っていた彼女がこちらを向いた。
「バイク、好き?」
「え?」
「バイクが好きかって訊いてんの」
「え、ああ、うん」
 予想外の事を訊かれたためか、少し戸惑ったように、那岐原が頷いた。
「なんで、バイクが好き?」
「なんでって……。風を切るのが気持ちいいから? ……どうして、今、そんなこと」
「……いや、俺さあ、前も言ったけど。バイクに乗ってるときの那岐原が、やっぱりいいなって」
 御津は、那岐原から視線を外して、小さく言った。
「取っ付きにくいと思ってたけど、無愛想な割に、謹慎中、寄こさなくてもいいのに何度も何度も気遣うように連絡を取ってくれたし。あの時から、ちょっといいなとは思ってた。それで、バラックで包囲された時は助けてくれて、でも一緒の部屋で過ごすことになったらいきなり玄関先で倒されて、怪我して……わけがわからないと思ってるうちに、次の日には那岐原が運転するバイクの後ろに乗ってて……楽しそうにしてるの見たり、その後に弱音吐いたの見たりできた。あの時、俺、もう那岐原の事、好きになってたんだ。たぶん」
「え……え?」
 那岐原の顔を窺うと、彼女は狼狽し顔を赤くして、意図を掴みかねると言うように御津の顔を見つめ返してきた。
「さっき、抱きつかれて、本当に理性が飛びそうになったんだかんな、俺」
「……あ、あれは」
「でも、我慢して、押し返した。あの提案をしたときの那岐原、美奈が乗り移ったみたいだった。那岐原には美奈みたいには……なってほしくなかったから、だから、どうにかしようと……この話をしようと思って、外に連れ出したんだ」
 ここで死にたいなら置いていく、と言った彼女の目。呆れながらもバイクに乗せてくれた彼女。少しからかわれただけで顔を赤くした彼女。この間、見せてくれたファイル。そしてそれを受けて、妹だとしても関係ないよと言ってくれた彼女。そんな彼女に対し、自分のしたことを黙っていられなくなった。
 それだけで、いいんだと思う。いい人だなと思っている程度では、いくら呵責に悩まされていても、あんなことが口から出てしまうはずが無かった。それだけ、長い間隠すことに慣れていた事項だったのだ。自分の行動に理屈をつけていくのは好きではないが、まず間違いなく自分は那岐原の事を、好きになっていたんだろう。責められた後で必死に取り繕おうとしていたのも、先程の彼女の変調を感じることができたのも、無意識に那岐原のことを優先的に考えていたからなのかもしれない。
「……日常的に責めるのも責められるのも嫌だけど、那岐原が那岐原でなくなる方が嫌だ。だから、協力できることなら、なんでもする」
 那岐原も同じ思いなら、何も、責め合う必要はない。もし、那岐原も同じ思いなら、だが。
「協力って……」
「那岐原を、支えさせてほしい。せめて、この任務が終わるまでの間くらいは」
「か……からかってるの? 私、は、早瀬に、そんなに好かれることした覚え、ない。それに私と早瀬が、そんな……支えあうなんて真似、出来るわけないよ。お互いに、お互いの事を憎む理由はあっても、好きになる理由なんてない」
「那岐原はやっぱり好きになんてなれないか? 俺の事。あ……いや、当たり前だけどな」
「う、ううん。好きかどうかなんて分からないけど、でも……」
 彼女はそこで言葉を切ると、赤い頬を隠すようにコートに益々顔を埋めていった。



***



 あれから互いに言葉が出てこなくなり、帰るか、と言った御津に頷いて部屋に戻ると、もう夜が明けていた。カーテンを開け、那岐原は外の景色を見つめた。まだ辺りに人通りは少ないが、陽光に照らされ急くように歩く人々はどれも退屈そうであり、幸せそうでもあった。
 那岐原は外から、部屋の中へと視線を移した。今は美奈の気配を感じることはなかった。この部屋でいつも感じていた彼女の気配は、自責の念が生み出した幻影だったのだろう。自分はあの幻影に囚われかけていた。御津を前にして、甘えるように身体を寄せ自らが発した言葉を思い返す。また顔が熱くなりかけたところで、那岐原は思考を止めた。小気味のいい音がしてトースターが食パンを二枚吐き出し、御津がそちらへ歩いて行く。彼は二枚の皿にそれぞれパンを乗せ、冷蔵庫から出しておいたりんごジャムをたっぷり塗り付けて、ダイニングテーブルに持っていく。
「ありがとう」
 そう言いながら座れば、意外そうに見つめてくる。那岐原は記憶を手繰り、こんな簡単な言葉もろくに交わしていなかった、ということに思い当った。唐突にすぎる御津の言葉を冷静になって考え直してみると、ますます、御津のことが理解できなかった。ありがとうの一言すら交わしていない相手の事を、普通、好きになどなるものだろうか。いくら自分がそういった経験に疎くとも、不可解に過ぎる。やはり、茶化されているだけなのかもしれない。那岐原はりんごジャムの塗られたパンを一口齧って租借した後、同じく御津が用意してくれていた牛乳の入ったコップを手に取り、飲んだ。
「……早瀬、やっぱりからかってるんでしょ? 今なら許してあげるから、正直に言って」
「は?」
「本当は私が、そういうこと言われ慣れてないから、反応見て、面白がってるだけなんじゃないの」
 言い終えるや否や、御津が軽く息を吐き出してから笑いだした。
「はは……からかってなんてないって。本気、本気」
「だって、そうやって……現に笑ってるじゃない」
 本当にからかっていただけだったのか、と思い、寂しい気持ちになりかけた時、御津は徐々に笑い声を小さくしていき、最後には笑うのを辞めた。
「いや、さ。あれだけ真剣に言ったのに、まだからかわれてると思ってるところが可愛いなって」
 御津がまたもや妙なことを口走った。からかわれているだけだ、と思おうとしても上手くいかずに顔全体が熱くなってきた。駄目だ、と自制する言葉が早鐘を打つ胸中を駆け巡る。信頼を感じ始めていた矢先に、父を遺棄したと告白され、裏切られたばかりだろう。妹を殺した自分のことを責めるよう誘導し、幻影を打ち消し楽になるための道具にしようとしたばかりだろう。……何を期待している。駄目だ。その程度の言葉に揺れるな。今まで、散々男たちの歯の浮くような台詞を、唾棄してきたはずではないか。
 どう反応するべきか迷い、ついに言葉がでなかった。そして御津の目を見つめて固まっていると、テーブルの真ん中で軽く組んでいた両手に、御津の手が触れた。その彼の行動にまた鼓動が早まるのを感じた。包むように手を握られ、那岐原は更に身を硬くした。
「さっきの続き、聞かせてくれないか? 好きか、どうか、分からないって……」
 御津の手は汗ばんでいて、熱いくらいだった。無理やり振り払うこともできたがどうしても果たせなかった。それどころか、急に、自分の今の格好が恥ずかしくなってきた。下着のようなワンピース。このような格好を見て、彼はどう思うのだろう。なぜか、そんなことが頭に浮かんできた。
「ね、ねえ、夫婦のふりするからって、そこまで入り込まなくても……」
 自分でもすっ惚けた答えをしてしまったと思ったが、御津は相好を崩さなかった。
「そういうことは、関係ない」
 ここに配属される前の訓練では、男に絆(ほだ)される様ではだめだ、と何度も言い含められ指導されていたし、それ以前に、今までの人生の中で身近な男に心惹かれたことなど一度もなかった。だから、そんな感情は、自分とは関わりの無いものだと思っていた。
「分かった。私もちゃんと答える」
 でも、今回は違う。この男は……変だ。今まで見てきた男とどこか違う。最初は、頼りない男だと見下していたはずだったのに、ここ数日の言動、行動だけで、自分が感情の面で守勢に立たされている。守勢というのはつまるところ……。
「早瀬の事は、支えてあげたいと思ってるよ。大切な肉親の命を奪った私を、許せるなら」
 自分もまた、彼に魅力を感じるようになってしまっているということだった。
「それを言うなら俺も……」
「私は、早瀬がしたことを……許す。直接手を下したなら、違ったかもしれないけど。もう、あいつは死んだ。これ以上、追及する気はないから」
 そこまで言ってから、那岐原は少しだけ熱いままの顔で、笑った。
「良く考えたら、責め合うより支え合う方が、ずっと楽しそうだよね」
 支えて貰うには少し頼りないけれど。そんな御津だからこそ、こう思えるのかもしれなかった。




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