Scene6

 ダイニングテーブルの正面に座る那岐原が、明日以降の作戦の推移を説明し終えた。
 どこかぎこちない口調の彼女の説明に拠れば、一週間以内にA、B班が普段は一般市民に扮しているジェマア・イスラミア分派が武器を保管している場所を捜査し特定、C班は現場に踏み込む際にだけ同行しろ、ということらしい。A班、B班、C班は、現場に踏み込む当該時だけ、それぞれアルファ、ブラボー、チャーリーと呼称し合う。
「あ、その程度なら二人でも……危険はない、か?」
「……AもBも、戦闘が得意な人員で構成されているわけじゃないから、私と御津が前面に立たされる可能性は十分にあると思う」
 危険がないわけないじゃない、とでも言いたげな表情で彼女は言葉を発した。
「同行することになるまで、何してればいいんだよ」
「さあ? 夫婦役でもやってればいいのかな」
 彼女はそう言って、薄く笑みを浮かべた。

「……そういや、最初に部屋に来た時、何で機嫌悪かったんだよ。何か俺、悪いことしたのか?」
 まだ、引っ掛かっていたことを訊いた。
 ダンボールの中身を確認しようとしただけで襟を掴まれ倒されて、訳の分からないまま機嫌が悪かった那岐原を思い浮かべる。青沼の言葉も重なり、そこがまだ、腑に落ちない所だった。笑みを浮かべた今なら答えてくれるかもしれない、と思って訊いた。しかしその質問は、彼女を硬い表情に逆戻りさせてしまった。
 那岐原はしばらくの間黙っていたが、御津が余計な事を訊いたことを謝ろうと口を開きかけたところで、立ち上がった。すりガラスを開け、まだ居間の隅に積まれたままの段ボールへ近づく。
「見て」
 少しばかり感じてくれていたであろう親しみを消して、那岐原は淡々と言った。
 那岐原が指しているのは、一つのファイルだった。手に取り開くと、目に飛び込んできたのは新聞記事のスクラップ。御津は、言葉を失った。
『埼玉・所沢市 消費者金融会社社員殺人事件、被疑者を逮捕』
 その見出しの横から始まった記事に、ピンクのラインマーカーで引かれた部分があった。そこを注視する。
 "取り立てに来ていた那岐原郁夫さん(43)を早瀬和義容疑者(39)が台所にあった包丁で何度も滅多刺しにし、妻である早瀬一美容疑者(35)が事件隠蔽のため死体を山中に埋め、遺棄した疑い。借金苦により将来を悲観しての犯行とみられる。"
 御津は夢中でファイルのページを繰った。
『消費者金融会社社員殺人事件から二年……独自取材で明らかになった新たな事実の数々。早瀬夫妻の犯行ではなく、実は娘の犯行だった!?』
 週刊誌の煽りたてるような大見出しが二ページを使い真ん中に大きく掲げられ、その上下に、独自の推理を書きたてる筆者の文面が展開されていた。そこにもピンクのラインマーカーで印が付けられている。
 "当時捜査に関った刑事に拠れば、娘である早瀬美奈(当時13歳)は恒常的に那岐原さんから性的な干渉をされていた疑いがあり、凶器となった包丁からは彼女の指紋も検出されていたという。加えて当時彼女の同級生だった秋谷さん(仮名)から、彼女は学校で両親の借金を理由に手酷いイジメを受けていて、常日頃から両親や借金の取立人を恨んでいたとの言質も取れた。幼い年齢と両親の自首から彼女が捜査線上に挙がることはなかったが、前述した状況証拠も含め、彼女が犯人ではない、とは言いきれないのではないだろうか。私はこれからもこの事件の真相を調査していくつもりである。"

 次のページを繰ろうとすると、那岐原は御津の手からファイルを取って、そのままそれを段ボールに戻した。
「この間の話には……嘘も混じってる。自衛隊からの引き抜きに応じたのは、早瀬美奈がこの組織に居る事を知って、復讐するためだった」
 御津はどう言葉を掛けるか、迷った。しかし、彼女はダンボールの前に立ったまま、言葉をぽつりぽつりと零し始めた。
「私は、あいつに撃たれた後、揺れる意識の中であいつの言葉をずっと聞いてた。そんな状態でも、初めから疑っていたから、週刊誌の記事は本当で、早瀬が、兄としてあいつに付き添ってるんだろうって思った。何か弱みがなければ普通は、この組織に入るわけがないから。……だから、撃てた」
 彼女は御津に向き直った。
「私が初めて人を殺したのはあの時だった。あいつだったから、撃てたんだと思う。でも、そんなの、早瀬には関係ないから……」
「……ごめん。本当にごめん」
「だから、なんで謝るの? 私にとっては父親を殺した犯罪人でも、御津にとっては大切な妹だったんでしょ?」
 しばらくの間、御津は那岐原のことを見つめたあと、視線を外した。
「あいつのしたこととは関係ないよ。謝る必要、ない」
「違う! 俺は……俺は! 那岐原の父親の……死体を運んで、遺棄した」
 四年間、ずっと胸にあった後悔を、御津は吐きだした。
「黙って、見てた。刺された、那岐原の父親が、目の前にいるのに。黙って、見ていたんだ」



   ◇



 父親を殺したのは美奈で、死体を遺棄したのは御津。
 御津を信用し始めていた自分は、茫然とするほかなかった。
 自分の仇敵は、美奈だけだと、思っていた。
「早瀬も、関わってたんだ」
 父親を殺したのは美奈で、死体を遺棄したのは御津。
「那岐原、本当にごめん……!」
「どうだった? 父さんの死体は。運びやすかった? 他人を殺したあいつを庇って親に罪をなすりつけて、どんな気分だった? 母親の罪状は殺人幇助と死体遺棄ってあったけど……早瀬、その場に居て、あいつが私の父親を刺してるのを、止めなかったの? 手伝ったの?」
 彼は顔を俯けたが、構わず一歩近づいた。
「訊いてるんだけど。どうだった? 父さんは、どんな顔してあいつに滅多刺しにされた? 父さんは、どんな表情で地面に埋まっていったたの? ねえ!」
 胸倉を掴んで、壁に叩きつけた。彼の本当に申し訳ないと思っている顔が目の前にあったが、気にしなかった。人の表情は何もかも、演技にしか見えない。
「そんなこと知らないで、勝手に罪悪感に苛まれてる私の話聞いて、どう思った? 心の中で、せせら笑ってたの?」
 御津が口を開こうとしたので、もう一度壁に叩きつけた。腰に掛けている拳銃に手を掛け、取り出す。
「早瀬のこと、殺そうか。あいつが父さんや川村さんを保身のために殺したように、さ」
 彼は全く抵抗しない。この期に及んでまだ言い訳を並べたてようと口を開こうとしたので、そのまま口の中に銃口を突っ込んだ。
 他人を脅して金を取り立ててくるようなくだらない親でも、自分にとっては良い父親だった。幼いころに母と離婚し、男手ひとつで、十六まで育ててくれた。昔の写真は、通りすがりの人に頼んで撮ってもらった、その場その場で父親と一緒に映ったものばかりだ。どの写真も、二人とも笑顔で映っている。無学だった父は、自分をしっかりと育てるために取り立てのノルマを次々とクリアして、昇進していった。
 事件後は取立人である自分の父親が全ての悪のように、殺した側のはずの早瀬夫妻に同情的な報道が成されていた。だが、おかしいではないか。何も罪のない相手から金を脅し取ったわけではない。元々消費者金融に借りた金を返さない、早瀬夫妻が悪く、殺したのはただの逆恨みだ。そうだろう? 父さんは、誰にも同情されなかった。消費者金融会社の社長が、社員を守ってやれなくてすまないと謝りに来たが、学なく強引な取り立てしかしてこない父を、内心は疎ましく思っていたようで、上っ面の言葉だけだった。
 自分が想わなければ、父さんは、誰の記憶にも残らない。それもこれも、殺した奴が悪いんだ。そう、心に刻みつけて生きてきた。
 殺そう。
 那岐原は、脳内に浮かんだ三文字に忠実に従おうと、引き金を絞った。

 しかし、銃声は鳴らなかった。中国製のトカレフは、安全装置がないため普段は暴発防止に弾を抜いてある。感情を乱してから、そのことをすっかり失念していた。
 那岐原は怒りに冷や水を掛けられた気分になって、銃を引いた。口内から銃が消えた御津は、倒れこむようにして床に手を付き、激しく咳き込む。
「……何熱くなってんだろ。私怨で殺したって言う意味では、私も、同類か」


Scene6《十二月三日》

 
 御津は、朝起きてまず、自分が無事でいることに驚いた。寝ている間に殺されている、と思った。そして、それでもいいと思った。
 皮肉なことに、今日は悪夢を見ることもなく、吐かなかった。当人に近い彼女に責められたからだろうか。
 立ち上がって顔を洗った。それから台所の隅に置いてあるトースターにパンを突っ込み、その間に冷蔵庫の中にある卵と、ガスコンロに置いたままのフライパンを使って目玉焼きを作った。どちらも一応は、二人分。御津は、すりガラスを遠慮がちにノックした。
「那岐原。朝ごはん、一応、作ったから」
 当然のように、返事はなかった。
 食器棚から、那岐原の持ってきた箸と自分の箸を取り出し、ダイニングテーブルに置いた。一人でテーブルに座ると、皿に盛った目玉焼きに醤油をかけて食べた。
 トースターが大きな音を発して焼き上がりを伝え、御津はもう一度台所に向かって二枚とも皿に置き、それぞれに林檎ジャムを塗る。それをまたテーブルに運ぶと、すりガラスが開いた。もう既に私服を着替えて髪も整っている那岐原は、御津に一瞥もくれず無言のまま洗面台に向かうと、顔を洗った。
「食うなら、これ……」
 食パンを指さすと、自分で持ってきたタオルで顔を拭いた那岐原が、視線を合わせないまま、黙ってダイニングテーブルに座る。
 彼女は無言のまま、食パンを齧る。御津もそれに倣い、黙って齧る。食パンを齧る音だけがしばらく部屋の中には響いていたが、それが止み、目玉焼きも食べ終わった那岐原は、箸を置いてすぐ部屋に戻った。
 自分の作った食事を、口に入れてくれただけでも良かった。全ては自分が過去に犯した罪のせいだ。彼女の父親を埋めて、美奈の犯行を隠そうとしたのは紛れもなく、過去の自分だった。そして両親に罪をなすりつけて、のうのうと生活している。服役しようとする気力も、美奈が死んだことによって失せてしまった。そんな自分に対し、彼女はどんな思いで、銃弾の入っていないトカレフの引き金を絞ったのだろうか。それは父を殺した者への憎悪以外に測り知ることはできないが、彼女にとって父親の存在がいかに大きかったかは理解できた。直接手を下したのではなくても、許せるものではないはずだ。
 御津は歯ブラシを手にして、磨く。毒々しい色の歯磨き粉が口の中で広がっていく。
 するとまたすりガラスが開き、鞄と自分用の歯ブラシを持った那岐原が水道に歩いて来たので、退いた。鞄を床に置いて水に歯ブラシの毛先をつけた彼女は、同じように歯磨き粉を付けて、その場で歯磨きを始めた。会話はない。どう対応するべきなのか分からず那岐原の顔を見つめていると、彼女は今日初めて御津に一瞥をくれてから、歯磨き粉を吐き出し、蛇口から流れる水を直接口に含み濯いで、流した。
 手の甲で唇に付いた水滴を拭った彼女は、床に置いていた鞄を持って、玄関口で靴を履くとそのまま外に出ていった。扉が閉まる音を聞いて、御津は息を吐いた。本当にごめん、那岐原。呟いてみたが、それは言葉以上の重みを持つことなく、消えて行った。



   ◇



 あの女の夢を見た。殺してから、初めて。
 那岐原はどうにか玄関を出て階段を下りたが、そこで吐いた。御津は今日、落ち着いていたようだったが、前に彼がしていた嘔吐も、今の自分がした嘔吐と同じようなものだったのかもしれない。父の出てくる夢を、彼は見ていたのかもしれない。
 人を殺すというのは、こういうことなのか、と那岐原は思った。夢の中、あの部屋の中では確かにあの女が存在していたはずなのに、外に出てこうして吐いてみると、もうどこにも彼女は存在しなかった。
 吐き終えても、呼吸が荒れ、胸の動悸が収まらなかった。よろめきながら、アパートの壁に寄り掛かった。
「お前が悪いんだ……お前が、父さんを殺したから」
 呟くが、それは言葉以上の重みを持つことはなく、消えて行った。
 彼女を銃で撃ち抜いた右手が、震え出す。
 死んだ者は、二度と蘇らない。自分は、彼女の生涯を十七年で、終わらせた。
 そしてその罪は、周囲には内応を鎮めたということで認められ、二度と裁かれることはない。
 停職されていた間は、まだよかった。しかしあの部屋で生活していると、嫌でも美奈が生活していた匂いが伝わってくる。
 気が狂いそうだった。
 御津、と那岐原は呟いた。あなたは四年間も、この気持ちを胸の裡に閉じ込めてきたの?
 御津。もう一度、彼の名前を呼んだ。
 あなたの妹を殺した私を、責めて、断罪して。法律ではなく、あなたの倫理観で、私を裁いて。
 そうしてくれたなら、父が死ぬのを黙って見ていたあなたを私は何度でも責めて、断罪して……何度でも、許して、あげるから。




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