Scene4

Scene4《十二月一日》

 悪夢に睡眠を阻害され始め、二ヶ月が経った。
 そして阻害された後は決まって、洗面台で吐く。
 寂れたサービスアパート街の一画。
 反吐と一緒に零れそうになる涙を無視し、御津は顔を洗いながら、洗面台の底面に張り付いた、胃液がほとんどを占める反吐を流す。
 愛用のグロックに弾倉を送り込み、外からは見えないように腰へと掛け、指定された会合場所へ足を運んだ。

「また同じ班になるなんてな」
 御津はそう呟くと、無気力な瞳で那岐原を見た。 
 あの後、バラックを包囲していた対象、ムディらは、一人残らず組織の増援に射殺された。
 中で見つかった死体についての説明を求められた那岐原は、川村殺害前に撮っていたバラックの写真と、弾痕とを根拠に自身と御津に拠っての殺害を否定し、美奈の内応単独犯説を展開した。そして鑑定の結果、致命傷になった二発のうち、川村の脳内に残留していた一発の弾丸は美奈の所持していたとされるグロックのものと断定。説得力のある那岐原の説明も手伝い疑惑は鎮静化に向かった。だが、グロックからは御津の指紋も検出され、上半身が粉々になった美奈の生前の状態は窺い知ることは出来ず、完全に火種が消えたわけではなかった。人手が足りない組織状況を鑑みた上層部は、二人への疑いの目を紛らわすために、十一月末までの停職処分にした。
 そして停職明けの今日、那岐原は、会合場所に適当な日本食を出している居酒屋を指定した。
 この二ヶ月間、組織の連絡を那岐原を通して受けたとき以外、御津は特に何をすることもなく毎日を過ごしていた。悪夢に阻害され眠りが浅く、普段からも眉間に皺が寄り始めていた。
「寝てるの?」
 那岐原が、少しだけ気遣った声音を発した。
「ありがとう。寝てるよ」
 一応は心配をしてくれているらしいことに礼を言い、御津は視線を正面に戻した。
「それにしても、うるさい店……」
 隣に座る彼女はうんざりしたように呟くと、店員に出された水を飲んだ。
「あと二人来るんだよな。那岐原、誰だか知ってる?」
 弁解の場で何度かまともに話して、那岐原の不精な物言いに多少慣れた御津はその言葉を無視し、言った。
 無表情な女かと思っていたが仕事外ではそう言ったこともなく、それなりに付き合いやすい人物だというのは分かっていた。
 那岐原は溜息をつくと、呆れた顔で御津を見た。
「何?」
「だって、ちゃんと教えた……。今回はもう増員は貰えない。私たちでやるしかない」
「本当に?」
 召集前に聞いていた今回の仕事は、もう避けられないところまで来ているジェマア・イスラミア分派の決起前に、銃器の保管場所を捜査し特定、押収後に丸腰の敵を一網打尽にするという話だった。しっかりと人数を揃えたA班、B班が既に活動を開始していて、自分と那岐原はC班としてその支援に従事することになる。
「要請しての増援は」
「それは許可されている。でも、基本は二人」
「頼りないな。支援でも命懸けになりそうだ」
 相手は、有能な地元警察も手に余らせている実力者たちだ。捜査をしているところを嗅ぎつけられれば、事態はどう転ぶか分からない。
「そうね」



   ◇




「そうねって……那岐原は冷静すぎ」
 御津はそう言うと、メニューから適当なものを選んで、店員を呼んで注文した。騒がしい音が店内を包んでいる。
「飲み物はオレンジジュースでいい?」
 頷いてから、視線を正面に移した。那岐原のすぐ目の前では焼き鳥が作られていて、煙と熱気が顔を熱くさせている。空調も全く追いついていない様子で、太陽が照らす昼間の野外よりも暑い様な気がした。
「そこ、暑い? 席替わろうか?」
「平気」
「平気そうには見えないけど」
「平気だから」
「でも」
 彼が言った所で、店員が鶏肉の唐揚げが乗った皿とフライドポテトの詰め込まれた皿を那岐原の前に置いた。それとオレンジジュースの瓶を二本とコップを二つ。那岐原は唐揚げの皿を手にとって、御津の前に置いた。
「……ほら、来たよ」
 平気だって言っているのに、しつこい。
「ありがとう。ここの唐揚げ、うまいんだよ」
 彼は明るく言うと、箸を取って唐揚げのひとかけらを掴んで、口に入れた。那岐原はフライドポテトの皿から指で直接二本つまんで、同じく口に入れた。率直に言うと、脂っこいだけで、大しておいしくない。
「唐揚げ、一個貰ってもいい?」
 声を張るのが面倒なので御津の耳元で言うと、箸置きから箸を取って、渡してくれた。それを使って、唐揚げを口にする。
 しかしこれも、ただの脂の塊のような味だった。口の中でまとわりついてくる、奇妙な食感。那岐原は一瞬顔を引きつらせ、オレンジジュースの瓶を手に取りコップに注いだ。
 それから一気に飲み干して、その唐揚げを胃に流し込む。
「……早瀬って普段、カップめんしか食べてないの?」
「え? 何で?」
「ユニークな味覚してるなと思って」
 那岐原は店員を呼び、先程から目の前で香ばしい煙を巻き上げている焼き鳥を注文した。 
 代金を折半して店から出ると、もう辺りは暗くなっていた。元々集まる時間が遅かったのもあるが、少しのんびりしすぎたかもしれない。
 早瀬と別れ家に向かって歩き出すと、那岐原は右肩に引っ掛けていた鞄から、仕事用の携帯を取り出した。といっても、私用の携帯電話は持っていない。掛ける相手もいないし、掛けてくる相手もいない。そんなものは自分には必要なかった。
 携帯の着信履歴を確認すると、二件の不在着信が入っていた。居酒屋の喧騒に掻き消され、着信音が聞こえなかったようだ。すぐに電話を掛け直した。
「はい、こちらジュロン工業お客様カスタマーセンターです」
 声高な猫撫で声が耳をなぞり、失笑が漏れないように声を潜めた。
「青沼さん、随分と綺麗な声が出るんですね」
「なんだ。あんたか」
 声のトーンが急激に低くなった。茶髪でだらしない化粧の電話口の女を思い浮かべた那岐原は、着信があったことを伝えた。
「ああ、それね。あんたの家の荷物、全部まとめて新しい住居に送っといたから、その連絡」
「は?」
 この女と話しているとつい、自分まで口調が荒々しくなる。言ってから少し、声を潜めた。
「勝手に部屋に入ったの?」
「あははっ。そうに決まってんじゃん。あの副管理官とあたしがねえ、自らだよ。副管理官も配慮してくれてるみたいだね。あたしが丁寧に中身を詰めといてあげたから。昔の写真とか、取りやすいようにね」
 心底楽しそうに言う。那岐原は無表情で言葉を返した。
「それで? 展開方法って何なの?」
 青沼はすぐには質問に答えず、少しの間彼女の忍び笑いだけが耳朶を打った。
「早瀬御津と夫婦役。はは。いいねぇ。後妻だよ、後妻。死別したばっかでも一応あいつだって男だし、仲良くやりなよ。ま、あんたみたいに無愛想じゃ、早瀬も手なんて出さないと思うけど」
「え……どういうこと? そんなの、聞いてない! そんなの……。分かってるでしょう? 私、あいつの!」
「それこそ、うちの組織の都合には関わりない話よ。荷物が行ってる筈だから、勝手に開けられたくなければ早く行ったほうがいいんじゃない?」
 そこで、電話が切れた。



***



 アパートに着くと、大きな段ボール箱が二つ、部屋の前に置いてあった。蓋は閉まっていない。疑問に思い手を掛け、中身を覗こうとした時、アパートの外階段を駆け上がってくる足音に気づいた。手を掛けたまま振り返ると、息を切らした那岐原がそこにいた。
「あれ、那岐原。家に帰ったんじゃないのか。そんなに息を切らせてどうした? 割り勘の勘定間違ってたとか?」
「……馬鹿じゃないの? そんな理由でここまで追い掛けてこないよ。その箱、私のだから」
 那岐原が、御津が手を掛けている段ボールを指差した。いつもより、喋り方に怒気が籠っている気がする。
「ん?」
「だから、その段ボール箱、私のだから、触らないで!」
 御津は、力強く指を差した那岐原に釣られ、視線を段ボールに移そうとした。
 同時に、襟首を掴まれ、引き倒された。
 
「また、夫婦でやれっていうのか?」
 水の入ったビニール袋を御津の後頭部に押し付けながら、那岐原は、御津を部屋まで追ってきた理由を話し始めた。冷凍庫はないので氷も当然なく、冷蔵庫に入れてあったミネラルウォーターが代用として瘤の出来た頭を冷やしていた。早速温くなってきていたが、仕方無い。
「二人だから、その方がいいのかもね。アパートの賃貸代も馬鹿にならないみたいだし」
 力の限り御津を引き倒した張本人は、静かな口調で言った。彼女に引き倒され、思い切り頭を打った御津は、その声を淡々と流し聞きしていた。
「大体、いくら生活用品が入ってるからってあんなに強く襟首掴むか、普通?」
「青沼が、変な詰め方してたから」
「変なって?」
「……言葉のままだよ」
 背中越しに聞こえる那岐原の声が刺々しかったので、御津は黙った。
「まあ、いいや。那岐原は、ここで寝てくれ。テレビもあるし、新聞もある。俺は、台所で寝るから」
 御津は立ち上がり、那岐原の右手から水の入ったビニール袋を取った。それから畳んである自分の布団を抱え、すりガラスを開けた。
「あ、そうだ、衣装棚は美奈が使っていたものがあるから、それを使っていいよ」
「私ので足りなければね」
 背中で御津の言葉を聞いている那岐原が答えたので、すりガラスを後ろ手に閉めて、布団を洗面台のすぐ横に広げた。布団はしっかり広がり切らず、ダイニングテーブルの椅子と洗面台に挟まれ半円のような形になった。
 そこに寝転がって、御津はポケットの携帯に手を伸ばした。履歴からジュロン工業を選択し発信を押す。
「はい、こちら……」
「青沼さん? 困りますよ……那岐原で遊ぶのはやめてくれませんか」
「あ、御津くぅん? 久しぶりね。元気でやってる?」
 ふざけた調子の返答が、耳元で響いた。
「その猫撫で声もやめてください。俺のこと、影で散々揶揄してるのは知ってますよ」
「ふん。言う様になったわね。で? 那岐原で遊ぶなってどういうこと?」
 途端に声の調子を変えた青沼が、面倒そうに訊き返した。
「機嫌悪いんですよ、さっきから。青沼さん、新米のあいつのこと良くからかってるって前に訊いたことがあるし、どうせ、また何かやったんでしょう?」
「あたしが荷物を詰めて送ることになったから、昔の写真を、取りやすいように一番上に置いてやっただけよ」
「本当に? それだけなんですか?」
「そんなに、機嫌悪いの?」
 少し声量を落として、青沼が言った。
「いえ。ただ、普段表情を抑えているようなので、余計にそう見えるだけかもしれません」
「分かった。しばらくからかうのは止めておくわ」
「ありがとうございます」
「ただ、原因はあんたにもあるってことだけは覚えておいてよ。まあ、精々仲良くやりな」
「……それはどういう……?」
 御津は訊き返そうとしたが、その前に電話が切れていた。
 やはり自分たちは道具としてしか見られていないのだろう。
 御津は、電話を切ってからしばらくの間、黙って天井を見つめていた。急に先程まで他人同士だった那岐原と一緒に住めだなんて、無茶にもほどがある。しかも、間取りが、居間、台所、風呂、トイレの四か所で言い表せるボロアパートで。同性ならともかく、那岐原は女で、自分は男だ。男子学生同士のルームシェアとはわけが違う。こんな狭い空間で、外だけでなく中でも夫婦役を演じろとでも言うのだろうか。
 寝転んだまま、携帯を乱暴にダイニングテーブルに放り、御津はすりガラス越しに声を掛けた。
「そういえば、風呂は更衣室ないから、入るときは声掛けてくれ。入ってる間だけ、そっちの部屋に移ってる」
 生活する上での最後の注意事項を言い終え、御津は目を閉じた。

 悪夢の内容はいつも異常なまでに現実的で、それでいて抽象的だった。見ている時はこの上なく現実感が漂っていたとしても、起きると内容は忘れ、込み上げて来る吐き気だけが現実として残った。忘れてしまうので何とも言えないが、恐らく取り立て屋の男か、美奈の夢を見ているのだろう。
 そして今日も吐いた。
 台所で眠ると自分から言ったのは、洗面台がすぐ近くにあるからだった。流石に那岐原の寝ているすぐ傍で吐くのは憚られた。
 吐き終えて洗面台を水で流していると、後ろのすりガラスが開いた。慌てて口を濯いで拭い、振り返る。
「……体調悪いみたいね」
 吐く際に声はそれほど洩れ出ていないはずだが、分かったのだろうか。御津の横を通り過ぎ、風呂の扉の手前までに歩みを進めた彼女は、昨夜の不機嫌のまま、無愛想に言った。
「大したことじゃない」
 掠れた低い声が出た。那岐原は御津を一瞥し、それから風呂の扉を開けた。
「A班、B班との打ち合わせが決まったの。一時間後に出るから、支度しておいて」
 着替えを足拭きマットの脇に寄せた那岐原は、しばらく考えるように動きを止め、振り返った。
「シャンプーとか、使わせてもらってもいい? 昨日無くなって、買ってくるのを忘れてて」
「いいよ、適当に使って。あ、でも、コンディショナーとかはないな」
「……そんなもの、使ってるように見える?」
 少しぱさついたショートヘアーの側頭部を摘んで見せた那岐原は、小さく笑みを零してから風呂場に足を踏み入れた。




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