蓬莱島 後編


 次の日、ムラの隅の方に、死んだ人たちを運んで埋めた。テイの死体は臭いがひどく、原形をとどめていなかった。そのせいで、ムラの男の一人が、鼻を押さえながら、その場に埋めようと提案した。だが、両親と離して埋めるのはあまりにも可哀想だとサカトが反対し、サカト一人で運んだ。イトが、手伝いを申し出てくれたが、断った。
 家を建て直すために、男たちが加工した木材の一部を貰い、そこにテイの死体を載せた。しばらく熱傷の治りそうにない両手には、イトがくれた上等な布きれを巻いてある。おかげでどうにか、熱傷でぐずついた手の痛みは、我慢できた。
 そしてテイも埋め終えて、遺体埋葬用にした敷地の真ん中に、サカトの膝の高さくらいまでの石を、ムラの男が置いた。
 イトの姿が見えないな、と思ったら、作業が終わり、みんながそれぞれの家の復興に取り掛かり始めたころ、縦に細長い木材を持ってきた。これはサカトの身長くらいあった。イトはその木材を、石の手前に刺した。その木材の中央部分は、変な形に削られていた。

澤国江山入戰圖 たっこくのこうざん せんとにいる
生民何計樂樵蘇 せいみん なんのはからいあってか しょうそをたのしまん
憑君莫話封侯事 きみによって かたることなかれ ほうこうのこと
一將功成萬骨枯 いっしょう こうなりて ばんこつ かる

「おれのコキョウでユウメイだったコトバだ」
「この、カクカクした絵に、意味があるんだ?」
「エではないが……まあ、いい。かみくだいてセツメイしよう」

 川の近くでセンソウが起こった。そこに生きる人間は薪を取り、草を刈ることもままならない。君よ、お願いだから、センソウで出世することを語らないでくれ。ひとりの将軍の足元には、多くの人間の骨が埋まっているのだから。

「このブンが、クヨウになるのではないかとおもったんだ。センソウはショウグンのエイタツしか、もたらさない。おおくのギセイをはらうが、イチブのニンゲンのリエキしか、もたらさない。タイセツなことを、おしえてくれている」
「へえ。でも、また、センソウするんでしょ?」
 イトがなぜか、怪訝な顔をしてこちらを見た。
「……なぜだ?」
「だって、これだけ殺されたんだもん。やり返さないと」
 イトは、サカトの目をじっと見ている。
「この場合は、その言葉の意味に当てはまるのかな。別に、一部の人間がリエキをもらうわけじゃない。ただ殺すだけだから」
「サカト」
「あの紋様男のせいで、みんな、殺された。捕まえたら、テイと同じようにやらないとね。自由がきかないようにして、服を燃やす。肩、足、腹、胸を、火の矢で順番に射って、最期に右目を射抜く」
 考えただけで、胸がすっとした。
「楽しみだね」
「サカト、それはできない」
 楽しい予定を考えることを邪魔されたサカトは、イトのほうを軽く睨んだ。
「だれをころしても、しんだニンゲンはかえってこない」
 サカトは笑った。
「知ってるよ、母さんとテイが帰って来ないことくらい。そう。死んだ人間は帰って来ない。でもさあ、生きてる人間は、殺せるよね」
「アイテとはソウビがちがいすぎる」
 イトが、サカトから視線を外し、木に目を向けた。
「イトは、このムラに来て、少しだからね。イトにとって、みんなのことがどうでもいいのは分かるよ。でも、私は、このムラで生まれてこのムラで育った。このムラの人の顔はみんな知ってる。ムラの人が獣にやられたときは、こんなふうには思わなかった。獣の場合は、お互いに生き残るための、避けられないやりとりだからかな。悲しくて、泣き腫らしても、今みたいな気持ちにはならなかった。その獣を根絶やしにしてやりたいなんて、かすめもしなかった」
 サカトは、イトの見ている木の板を一瞥した。
「こんなの、意味ないよ。紋様男の首を供えた方が、よっぽど、供養になる」
「サカト、おちついてくれ。このムラのシュリョウのムスメが、そんなことをいったら、どうなる? ドウイするニンゲンがあらわれでもしたら……」
「落ち着いてる。食料が足りなければ分ける、困ってることがあるなら協力する、そう言ったのに、あいつらは、殺した。お母さんも、テイも、テイのお父さんとお母さんも、みんな。何にもしてないのにね。だから、殺し返す。どこか間違ってる?」
「いいか、サカト。ころそうとするなら、アイテだってだまってはいない。もしサカトがせめこんだとしたら、逆にサカトがころされるカノウセイだってある。かえりうちにあったら、コンドこそ、せめほろぼされてしまう」
「じゃあどうすればいいの。教えてよ」
「センソウは、にくしみのおおきさをためすバではない。ギジュツとセイサンリョクとセントウヨウイン、それをケイゾクしてよりよくイジできるほうが、かつ。キタモンフキンのイエがほぼもやされ、ムラビトのおおくがしんでしまった、いまのジョウキョウをみて、あのムラにかてるとおもえるほど、おれは、レイセイさをうしなってはいない」
「私はそんなこと、聞いてない」
「まだわからないのか。それなら、これはどうだ? おれがあのムラにタンドクでシンニュウし、あのオトコのクビをとってくる」
「できるならやってみてよ。イトにそんなこと、できるわけないけどね。一対一でも、押されてたんだし」
「サカトがのぞむなら、それでサカトがマンゾクするなら、イノチにかえても、やりとげてみせる。しかし、あくまでセンソウにこだわるのなら……」
 イトが、木の板から視線を外し、振り返った。見たこともないような冷たい眼が、サカトを射る。そして腰に差した刀剣を抜いた。
「イマここで、サカト、キミをころす」
 イトは素早く刀剣を薙いだ。ちょうどその切っ先が、サカトの顎に、ぴたりとあてられた。
「おれは、イマのキミをみていられない。ミズをのぞきこんでみろ。メがコウコウとひかって、カオはにくしみでゆがんでいる。のこったムラビト、サンジュウゴニンすべてを、ヒツヨウのないキケンにさらそうとしている」
「やれば」
「なに?」
「やれば。私、殺されでもしないと、意見は変わらないと思うよ」
 驚くほど、向けられた刃に恐怖心を抱けなかった。
「でも、変な話。人を殺さないようにセンソウには反対するくせに、殺してでも意見を変えさせようとするんだね」
「おれはイチブのリエキよりゼンタイのリエキをとる。キミはこのセンソウにリエキがないといったが、リエキはある。キミのフクシュウシンがみたされるというリエキが」
「へえ、リエキって、そういうのも入るんだ」
「憑君莫話封侯事。一將功成萬骨枯。ナンドでもいう、キミはそれでもリエキをほっするのか? バンコツとなりてもニンゲンでありつづけるのか?」
「ぶつぶつ言ってないでさっさとやりなよ」
 イトの目がすっと細くなった。途端、顎に触れていた切っ先が横に流れ、今度は、刀剣の腹の部分が首筋に当てられた。少し、痛い。間合いを詰めたイトの顔が、至近距離にあった。そのまましばらく目を見合わせたが、先に目を逸らしたのはイトのほうだった。横を向いたイトは苦しそうに息を吐きだすと、目を瞑って刀剣を下ろし、鞘におさめた。
「やらないんだ?」
「ソコイジのわるいシツモンをする」
 イトはそう呟くと、木の板を一瞥してから、屋根が焼失したサカトの家のほうへ、歩きだした。
 サカトはそれから、近くの畝へ移動した。
 このあいだテイと一緒に植えたばかりだった、踏み荒らされたイネの残骸をひたすら眺めて、一日を過ごした。
『それにさ、自分が手伝ったイネがちゃんと育ってると、嬉しくならない?』
 声が聞こえた気がして後ろを振り向いたが、誰もいなかった。
 そんなこと、ぜんぜん、思わないけど……。
 イネがちゃんと育たないのは、悔しいよ。テイ。

 明日になったら、センソウの賛同者を募ろう。そう思って、屋根のない自宅に帰った。
 去年のコメと小麦の余りを使って、雑炊を用意してくれているはずの母の姿を探した。けれど、煮炊きをしていたのは父とイトだった。
「そっか……」
 呟いて、サカトは、土間で立ち尽くした。これは、天命で死んだ人間より、病気で死んだ人間より、狩りで死んだ人間より、はるかにひどい死に方だな、と思った。こんなにも、一方的に終わらされる死に方があるなんて、センソウが起こるまで、考えもしなかった。
 今回のイネが収穫できないので、節約するしかない。それはひどく少量の雑炊だった。しかし、イトに容器ごと手渡されたその少量の雑炊を、手をつけずに残し、父とイトと何の会話もせずに、寝床に入った。
 屋根がないから、こうこうと光るものが点在する、夜空が見える。
 しかしそれを楽しむ気分にもなれず、すぐに目を閉じた。意識しない疲労が溜まっていたようで、すぐに眠ることが出来た。


 泥のような混濁した意識の中で、おでこと前髪を、手で触られているような感覚があった。それは、もう触れることができないはずの母の手のひらのように優しくて、ずっと身を委ねていたくなった。深い眠りの世界に戻ろうとすると、その心地良い感覚が唐突に、消えた。途端、とてつもない喪失感に襲われた。慌てて目を開けた。
 家の入口のほうから、人の気配が消えていった。寝床のほうを確認すると、父が静かに寝息を立てていて、その隣のイトの寝床が、空だった。
 ……どうしたんだろう、散歩かな。
 けれど、イトの枕元にいつでも置いてあるはずの刀剣も、その他もろもろの装備も、全て消えていた。
 半分寝惚けたまま、起き上がり、木の板を突っかけて外に出た。
 家の外は、夜間警備用の火が焚かれ、黄色い光がまんべんなく広がっていた。あちこちで、全焼した家が目に入る。イトはどこにも見当たらない。
 少しずつ、頭が冴えて来た。
 警ら中の人間に、
「イトを見なかった?」
 と尋ねた。
「ん……。俺にあいさつした後、急に走り出して、北門のほうに行ったけど」
「ありがとう」
 それを聞いたサカトも、走り出した。
 家の消火を優先したせいで、北門と木柵はすべて瓦礫の山となっている。
 サカトは、北門から狩りに出かける男たちを、母やテイ、テイの母と一緒に見送っている自分を幻視してしまい、足元に視線を落とした。やはり再建も家が優先で、燃えた瓦礫もそのまま、落とし穴を塞ぐ余裕もない。落とし穴の下には、十数人の敵の死体が転がっているんだろう。それだけの人数の敵も、死んだ。唐突に。自分たちが仕掛けた罠で。
 原因の分からない動悸を覚えたサカトは、その落とし穴から、十分に距離を取って回り込んだ。サカトは、イトと初めて会った夜、イトが歩いてきた方向に狙いをつけた。右手に川が来るようにいけば、方向を間違うこともない。
 イトがいないと、センソウができない。イトがいないと、センソウのやり方が分からない。教えてもらうまでは、消えてほしくない。
 しかしいくら走っても、イトの姿は見えなかった。そのうち走るのにも限界が来て、足を止めた。いくら御月様が出ているからって、遠くまで見渡せるわけじゃない。
「イト」
 小さな声で、呼んでみた。
「イト!」
 続けて、叫ぶ。
 サカトの声が、夜闇に薄く広がっただけだった。
 センソウのことばかりがこだましていた頭に、何か靄がかかっていく。
 足に履いていた木の板を脱ぎ、裸足になった。足元は砂利がざらざらと転がっていて、普通に立っているだけでも痛い。でも、裸足の方が絶対に早い。既に汗だくだったが、膝に手をついて少し休んだ後、また走り出した。
 今度は、長く走れるように速さを調節した。それでも、板を履いていた時と同じくらいの速度は出ているように感じた。それと同時に、人の通った後の少ない、荒れた道を走っているせいで、足の裏の痛みも増していく。
 子どもの頃は裸足で歩きまわってたんだから、大丈夫。そう誤魔化しながら、走る。それなのに、イトの姿が見えない。イトが速いのか、違う所を走っているのか、それとも、自分が考えていることが見当違いなのか。
 もしイトが、近所を散歩しているだけだったら、一人で必死になって、馬鹿みたいだ。
 そうだよね。強そうな味方がいっぱいいて、本人もあんなに強くて、きっと、サカトたちのムラの反撃を警戒してる。そんなところに、左腕を怪我した人間が一人で乗り込んで、紋様男の首を取ってくるなんて……無理だ。ただの散歩に決まってる。
 イト……。気のせいだよね。あんな言葉、本気にしないよね。
 ムラに戻れば、きっと、戻っているだろう。どうしたそんなにケッソウをかえて、と、あの平坦な発音で、言うに違いない。
 そう思っても、戻れなかった。
 いい加減、追いつかせてよ。このまま、あいつらのムラに着いちゃうとか、そんなの、駄目だよ。
 痛いんだよ。足だけじゃない。体中が、痛い。嘘じゃないから。ほら、涙まで出てきたよ。だから、追いつかせて。

 それでも、追いつけない。
 サカトは、足を止めた。
 駄目だ。もう、無理だ。走れない。
 追いついたら、イトの体の、首から上が、なくなってるかもしれない。もしかしたら、もう、紋様男の手もとに、死体が届けられているかもしれない。
 考えれば考えるほど、テイの真っ赤で煤だらけの遺体と、母が死んだという事実と、それぞれ結び付いて、涙が出てきた。
 泣いたって、イトは止まってくれない。泣いたって、誰も生き返らない。泣いたって、誰も助けてくれない。泣いても喚いても、天命で死ぬ人は、病気で死ぬ人は、狩りで死ぬ人はいなくならなかった。私が生きている間に、いくつもの命が消えて行った。泣いても喚いても、何も、変わらなかった。わかってる。わかってるよ、そんなこと。
 だから、怖い。
 サカトは、真っ暗な世界の真ん中で、立ち竦みそうになった。
 ……けれど、同時に、自分を守るため、敵に立ち向かったイトの姿が、浮かんだ。
 あの時のイトも、怖い、と思ったはずだ。失敗すれば、二人とも死ぬのだから。自分が失敗してイトが死ぬような状況だったら、自分だったら、何もできない。
 それに比べたら、今の状況は。イトが死んでいるかもしれないから怖いなんて。
 サカトは貫頭衣を引っ張り、涙と鼻水を拭い去った。
 自分が、センソウをする、センソウをすると騒いでいたせいで、イトが行ってしまったのなら、自分が、止めないと。ここで突っ立っていたって、誰も、助けてなんてくれない。
 深呼吸をして、気合を入れ直し、また足を動かす。獣に追われていると、懸命に、懸命に想像して、走った。足裏の皮がずるずると剥けていくのが分かる。それでも、今度は、止まるわけにはいかなかった。
 絶対に大丈夫。絶対に大丈夫。そう念じながら、足を前に、前に、押し出して走った。

 
 イトの背中を捉えたのは、御日様が昇りはじめ、足裏の感覚がなくなったころだった。
「イトっ!」
 あまりにも辛くて、息を吸って吐くだけで死ぬような思いをするくらいの状況で、サカトは怒鳴った。
 イトは、盛大に燃える木々の手前に、立っていた。サカトはそのまま駆け寄り、振り向いたイトに抱きついた。
 サカトは、長距離を走り通した疲れと、心からの安堵と、イトに言ってしまった言葉への後悔とで、何も喋ることができなかった。  
「きづかれていたか」
 答える代わりに、右手でイトの服をぎゅっと掴んだ。
「もうしわけない。そのヨウスでは、あのコトバはホンキではなかったんだな。さきばしりすぎた」
 ごうごうと、火が燃える音が、耳につく。
 呼吸が落ち着いた所で、体を離した。
 夜が明けたばかりだと言うのに、イトの背後では、真昼を思わせるほどの炎が、そこかしこで燃え上がっていた。
 それは、木々が燃えているのではなかった。かつてしっかりと、目的をもって組まれていたであろう木々が、崩れ去って、燃えているようだった。
「キミがのぞんだ……いや、のぞんでいたコトは、こういうコトだ」
 そう言うと、イトは、木々に歩み寄って、何かを引っ張り上げた。
 それは、テイのように焼けただれ全身が真っ赤になった、女の子の死体だった。
 サカトは、あまりに驚いて、その場に腰を落とした。
「セントウチュウに、ノロシがどうとか、きこえただろう。あのとき、ホカのムラにせめこまれていたようだ」
 イトは、女の子の手を離し、サカトの方を振り仰いだ。続けて、イトが何かを言おうとすると、近くの瓦礫が動いた。
「セイゾンシャか?」
 イトが大きな声で問うと、瓦礫が勢いよく弾かれ、そこから、一人の男が現れた。
 昇りかけの御日様と炎に照らされた上半身には、大きな、鳥の紋様があった。
 サカトは、腰を落としたまま、紋様男が瓦礫の中から降りてくるのを見た。殺したい、という気持ちは、湧かなかった。紋様男は既に、体中から血を流し、瀕死の状態だったからだ。
 紋様男は浅く早い呼吸を繰り返しながら、イトの目の前まで歩いていくと、その手前の瓦礫に、座り込んだ。
「バケモンだわ、ありぁあよ……」
 ヒュー、ヒュー、と風が家屋を吹き抜けるような音を、喉の辺りから洩らしながら、紋様男は呟いた。
 イトは、紋様男の隣に座った。サカトは、昨日、命のやりとりをしていた二人が並んで座る様子を、不思議と、違和感無く受け容れることが出来た。
「奴等に攻め滅ぼされる前に、他のムラを併合しようとして、その最中に、あんなバケモンを揃えてムラをやられたんじゃ、勝てるわけねぇ」
「だからキョウジュンしようと言ったんだ」
「どうする? 次はあのムラだろ」
「おまえにシンパイされるスジアイはない」
「死んだオヤジに叩き込まれた外交術とやらでも使うか。ま、武力でどうこうできる相手じゃねぇな」
 紋様男は咳き込みながら立ち上がり、瓦礫の山を登り始めた。そして、御日様に向かって、一礼した。
 そしてイトを振り返った。いや、サカトの方を見た。
「お前、イトが守ってた奴だろ。悪かったな。こっちの事情で巻き込んで」
 サカトは何も答えず、紋様男を睨みつけた。
「こえーこえー。んな目つきすんなや」
 紋様男は笑った。しかしすぐに笑みを消した。
「……悪かった。本当に」
 呟くように言った紋様男は、座ったまま彼のほうを振り仰ぐイトに、視線を戻した。
「そいつととっととガキこさえて、見せに来てくれや。骨になって出迎えてやっからよ」
 紋様男は、御日様にもう一度体を向け、その場に座った。
「いい人生を、ありがとうござんした」
 おどけたように言い、御日様に向けて両手をついて頭を下げ、そして、動かなくなった。

 サカトは、イトを追いかけ始めるまで、殺したい対象でしかなかった紋様男の死に様に、呆気にとられていた。
 イトは、しばらくの間座っていたが、やがて立ち上がってこちらに歩いてきた。
 そして、サカトの足を見て、目を丸くした。
「どうしたんだ、それは!」
 イトはすぐに駆け寄り、足首を手にとって、サカトの足裏を見た。
「ハダシで、おいかけてきたのか?」
「ん」
 今さらになってぶり返してきた痛みに、顔をしかめながら、答える。
「ムチャなコトを」
「だって、こうでもしないと、イトに、追いつけない気がしたから」 
 イトは、くるりと背中を向けて、サカトの前に、しゃがんだ。
「セナカにのるくらいはできるか?」
「う、うん」


 両手の火傷痕までが痛み出してしまった。だらりと手を垂れ下げ、イトにぴったりと体をもたれるような格好になるしかなかった。額をイトの肩に預け、ただ、イトに背負われるまま、家に着くのを待つ。
 サカトのムラを襲ったムラが、他のムラに攻め滅ぼされる。その様を、紋様男が死ぬのを目の当たりにして、何かが、サカトの中から抜け落ちてしまったような気がした。テイも、お母さんも、みんな、殺されたのに。あれだけ皆殺しにしてやりたいと感じていたはずなのに、実際に敵のムラが皆殺しにされた今はもう、いくら頑張っても、そんな気持ちは湧いてこなかった。
 そのせいで、イトはいま、どんな気持ちなんだろう、と考える余裕が出てきた。イトは、センソウにうんざりして、父親とともに危険を冒して海を超え、ここに渡ってきた。センソウがないはずの、ホウライトウへ。
 しかし、ホウライトウと呼ばれたこの地でも、かつて父親と自分を受け容れてくれたムラが、自分の命を救ってくれたムラに攻め込んで、殺し合った。そして、受け容れてくれたムラの人間のほうは、全員、殺された。そのイトの心情は、想像を絶するとしか言いようがない。
 昼間、サカトが、殺したい、センソウしたい、と取り憑かれたように考えていたとき、イトが見せた冷たい眼。サカトの喉に押し付けた刀剣。顔を背け、苦しげに吐き出した息。そのひとつひとつが、イトの苦しむ声だったのかもしれない。
 イトは、サカトが腰を抜かしてしまうような死体を、無表情で引っ張り上げてみせた。ムラで死者を埋めた時も、悲嘆にくれるムラの人間に代わり、ほとんどすべてにおいてイトが率先し、運び出していた。どんな地獄を経験すれば、あれほどまでに、人の死体に対して感慨をなくせるのだろう。
「もうすぐ、つくぞ」
 言われて、顔を上げた。
 瓦礫の山と化した北門が、見えてきていた。
「あのムラをみてわかってくれただろう。ひとつのムラのハンエイのため、ひとつのムラがくいつぶされるゲンジョウを。あれがまさに、一將功成萬骨枯、だ。このムラがバンコツとなるのをカイヒするために、サカトのチカラをかしてほしい」
「うん」
 イトは、柵の残骸を踏みしめながら、一歩一歩、サカトの家に近づいていく。
 家の入口では、父が、腕を組んで立っていた。どう事情を説明しても、拳骨の一発は免れなさそうだ。
 仲裁に入りなだめてくれる母は、怒られたことを茶化すテイは、もう、いない。
「私からもお願いしていい?」
「なんでもいえ」
「イトまで、いなくならないでね」
 サカトはそう囁き、熱傷の治らない両手の痛みを堪えながら、イトの首を抱き締めた。



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