7

 予測とは裏腹に、その日の夜は仕掛けてこなかった。
「襲ってこなかったな」
 白んで来た空を見ながら、玄関で待機していた拓真は欠伸交じりに呟いた。
 この病院の構造は単純。玄関、ロビーが一体化していて、そこから奥に進むと一面が壁でできた一本道の廊下があり、そこを過ぎれば直接各診察室や病室だ。要するに、玄関さえ守っていれば抜かれる心配はないのだ。外にある入口の通用門は、鉄柵でできていて、事情により一週間診察を停止する旨の張り紙がしてある。院長に無理を言って頼み込んだのだ。当然、保障する金も支払った。幸い院長は浮浪者に対して理解のある人で、患者を時折傷めつけに来る守備隊を毛嫌いしている。支払う金は微量で済んだ。
「いくら考えても、よくわかんねえ。狙ってきてるのは笠間の守備隊だよな? どうしてもそんな手練れがいたようには思えない」
 玄関突破を阻止するために、ゴミ捨て場からかき集めた粗大ゴミで作ったバリケードの隙間から外を警戒する俊介は、頷いた。周辺と融和を図っているため笠間守備隊の装備は自治の意味合いが強く、通常の軍隊にははるかに劣る。突破には多少手間取るだろう。その間に狙撃手が銃弾の雨を降らせるのだ。
「守備隊、一人動ける奴がいたよね。あいつが、増援を呼んだのかもしれない」
「は? でもここ、完全に土浦の勢力圏内なんじゃ……」
「忘れてたんだよ。ここと笠間は確か友好関係にある街だった気がする。だから、居所を掴まれた」
「でも、ここまでするか? 普通。少し時間を超えて、発砲しただけだろ……。わざわざ増援を寄越すなんて」
「……理由は後で話すよ。あおいが、起きたら。ただの規律違反者ならここまで追われることはなかったんだけど……」
 そこまで言うと、俊介が固まった。慌てた様子で外を指さす。
「来た!」
 バリケードの隙間から視線を外へ移すと、鉄柵に大型のトラックが突撃をかまして突っ込んで来た。鉄柵をぶち破ったトラックから続々と兵士たちが降りる。同時に狙撃の弾が降り注ぎ始めた。見た限りでは早速一人が、死んでいた。
「皆、配置について!」
 岩崎と大島という知己の二人が入口を固め、俊介は柱の陰に隠れた。拓真は廊下だ。殺す必要のないように配慮をしてくれたのだろう。
 しかし、この戦闘は俊介の予測通りにはならないはずだ。
 廊下に行く前に見えた外の奴らは、明らかに俊介の予想した人数を超えていたし、首筋を切られたあおいのあの姿を目の前で見ていた自分は、心の底から敵を殺したいと願っていた。


 バリケードは、取り去られて徐々に薄くなっていく。狙撃の音は既に止んでいた。反撃を受けて、撤退してしまったのだろうか。そしていよいよテーブルがどかされ、外の陽光が中を照らした。同時に、三つの射線が敵を射た。俊介がロビーに通る一本の柱の陰から飛び出し、激しく銃撃を加えていた。一人、二人とバリケードの撤去作業をしていた敵が死んでいく。普段はその「相手を殺そうとする」様子を怖いと思い、殺すことを止めたいと切望する心があったが、今はなかった。自分の甘えで、何かを失うわけにはいかない。
 そこで、中に何かが投げ込まれ、咄嗟に拓真は目を閉じた。続いて爆発音がしたと思うと激しい音が辺りを包んだ。耳鳴りを堪え目を開く。あおいから聞いたことのある、相手を気絶させるタイプの手榴弾だ。岩崎や俊介がひるんでいるのが目に映った。
 敵が一気になだれ込んでくる。敵は、あおいを死の一歩手前まで追いやった奴と同じ服を着ていた。拓真は割り当てられた廊下の手前で、自然に、銃を構えた。
 震えは、ない。
『どうして……? どうして、ころさなければいきられないの?』
 耳の奥で、幼い自分の声が叫んだ。
 しかし拓真は耳を塞いで、続けざまに、笑みを零した。
 そして、煙の中を突破し突っ込んで来た男に向け、引き金を引いた。
 胸を銃弾が貫通し、彼はその場に崩れ落ちた。拓真はその背後から見えた男に対しても、容赦なく銃弾を撃ち込んだ。
 男はゆっくりと倒れていく。
 自分の放った銃弾が、二人の命を一瞬にして奪った。
『どうして……? どうして、ころさなければいきられないの?』
 いつまでも、その声が耳の奥で反響していた。
 自問には答えず、拓真は一人思った。
 俺の大切なものを奪うつもりなら……あの二人を殺すつもりなら、いくらだって殺してやるよ。



***



 結局、あおいを襲った奴は死体の中には見受けられなかった。撤退したのだろう。
 戦闘が終わったとき、拓真の目の前には、五つの死体があった。廊下からロビーに移る所は直角になっていて、ロビー側からは死角だ。俊介たちのいる場所を放置して深部に進んで来た兵士たちは、キルゾーンを突破できず、死んでいった。死体は殺すたび、ロビー側から見えない位置まで引きずっていたから、敵は最後まで同じことを繰り返した。
 達成感も高揚感もない。ただ無感動に、拓真は死体を見つめた。
 小銃と弾薬をその場に放り、戦闘の後の処理をしている俊介たちを尻目に、拓真は場を後にした。 

 病室に入ると、まだ眠ったままのあおいがいた。
 気付けば四日目だ。とりあえずの安全は確保したが、本人が目を覚まさなければ意味がない。
 このまま目覚めないのだろうか、と思ってしまったところで、拓真は無理やりその考えを振り払い、隣のベッドに腰を下ろした。
 あおいの顔を拭いてやろうと濡れたタオルへ手を伸ばそうとして、気付いた。血で汚れきった手に。
 罪悪感はなかった。ただ、"敵を排除した"だけだ。そう言い聞かせる。
 耳元で、声がした。
『オマエはもう、偽善者にも何者にもなれない。ただの悪人だ。モノみたいに人を殺して楽しかったか?』
「違う。楽しくなんてなかった」
 すぐに否定する。
『楽しかったんだろ? これが日常だと、気付いたんだろ?』
 誰かの――いや、幼い自分の声が、耳元に張り付く。
「俺は本当は、殺したくなんてなかった」
 泣きそうになりながら呟いた。
『嘘吐くなよ。そんな人間が、五人も殺せるわけがない。母親を殺した奴と同じにクズに成り下がったんだ。オマエは』
 本当だ。殺したくなんてなかった。でも、自分が殺さなければ俊介もあおいも、みんな死んでたんだ。目の前であおいを殺そうとした奴の顔が、頭から離れなかった。人を殺す恐怖なんて、捨ててやると思った。二人を助けようとしたんだ。あれだけ嫌っていたはずなのに。殺しを犯してでも、助けたいと思ったんだ。
「ただ、それだけなんだ……」
 再び、呟くように言った。
 耳元で鳴っていた声は、もう聞こえなかった。


 ……ねえ、母さん。俺、人を、殺しちゃったよ。



***



 重い瞼を開いてから、しばらくは体が動かなかった。
 ベッドに縛り付けられているようだ。しかしそれでも努力を続けているうち、どうにか動くようになってきた。
 手始めに手を動かす。左腕には点滴が打たれているようだ。上手くいかない。それから右手に力を込めて、後ろ手をつき、どうにか上半身を起こそうとした。
 まず目に入ったのは、拓真だった。驚いたような顔で、こちらを見ている。
 何があったんだっけ。思い出そうとする前に、拓真が声をかけてきた。
「……起こすの手伝おうか?」
 そうだ。男に首を切られて、死んだ……と思ったんだ。思い出した。
「……生きてる? あたし」
 掠れた声しか出ないが、徐々に本調子を取り戻してきているのが分かる。声帯や喉は傷つけられなかったようだ。
「ああ。生きてるよ」
 拓真が心底安堵したような声音で呟いた。その手や服に、血がこびり付いていた。しかし何より目を引いたのは、拓真の表情だった。安堵して、しかしそれでいてどこか悲壮を滲ませた、どこか怒りも感じさせる表情。不審顔で見つめる自分に気付いたのか、彼は続けて口を開いた。
「戦闘があったんだ。でも奴らは退却した。心配しなくて大丈夫だから」
「……どうしてそんな顔をしてるの?」
 言うと、彼は一瞬だけ頬を引き攣らせ、それから笑みを作った。
「なんでもねえよ。それより、目ぇ覚ましてホント良かった。俊介呼んでくっから、ちゃんと寝てろよ?」
 拓真は立ち上がった。そのまま部屋を出て行こうとする彼の腕を、どうにか右手の力を振り絞って掴んだ。
「敵を……殺したの?」
 ――は? 殺し? したことあるわけねーじゃん。俺さ、昔、母親のこと、他の街の奴らに殺されてんだよね。
 言葉を教えて、日常会話をこなせるようになったころ、訊いたことがある。殺した経験の有無について。正直、その答えは意外だった。あれだけ喧嘩慣れしていて、小さな頃から各地を放浪してきて、自分を襲ってくる奴らさえ、決して殺しはしなかったというのだ。それを自分は、すごく貴重で、尊いことだと思った。だから今まで行ってきた所業は話さず、拓真の言葉に一々従い、人を撃つ場合も決して殺さぬよう心掛けてきた。口や態度に出すことは滅多にしなかったが、尊敬していた。なんだか、自分まで清廉な人間である気さえしていた。異常に冷めていた自分の心に、一点の人間味が宿った気がしたのだ。銭湯の時は、殺した瞬間は無表情でいられたが、後から後悔が激しく沸き上がってきた。一月前に殺した時とは、明らかに違っていた。
「……って、そんなわけないよね。母さん、殺されたんだもんね。ごめん。変なこと訊いて。でも……何かあったなら、話してよ。今何がどうなってるのか、事情だって全然分からないしさ……」
「……俊介に訊いてくれるか? 俺も、あんまり、状況分かってないから……」
 彼は無表情で言った。そして手首を掴んでいたあおいの右手をゆっくりと解いた拓真は、部屋を出て行った。


「姉ちゃん! 起きたって本当!?」
 少し経って、俊介が部屋に入ってきた。いつも冷静な俊介らしくない、弾んだ声だった。
 近づいて来たと思ったら、両手で両肩を強く掴まれた。
「大丈夫? どっかおかしいとこない?」
 覗き込むようにして、俊介が言った。
「う、うん」
 顔がくっつきそうな至近距離から問われ戸惑いながら頷くと、それから強く抱きしめられた。
「良かったー……。本当、死んだかと思ったよ。今度こそ、死んだかと思った。良かった……本当に」
 後ろ髪をを撫でつけられながら、耳元で俊介の力の抜けた声を聞いた。
「え、え? な、何、どうしたのいきなり」
 状況が飲み込めず、あおいは頬を赤くして訊いた。いくら仲の良い弟とはいえ、大袈裟にこんなことをされると気恥ずかしい。
「……聞いてないの?」
 体を離した俊介が、驚いた表情で訊き返してきた。

「四日……」
 話を聞いたあおいは、絶句すると共に、額に汗を滲ませた。
 一命を取り留めたのは奇跡で、十中八九、死んでいたかも知れなかった。このまま目が覚めないかもしれない、とまで言われたという。なぜあれ程俊介が喜んでいたのかが分かった。対照的に、拓真の反応が薄かったことを思い出す。大して、嬉しくなかったのだろうか。そうだとしたら、嫌だな。
「で、今言った人たちを雇って、たった今、撃退したところ。こっちも奇跡だったけどね。岩崎さんも大島さんも僕も拓真も、みんな死ななかった」
「……ごめんね。迷惑かけたみたい。お金、なくなっちゃったでしょ」
「ううん、正直、姉ちゃんが戦力に入っても、やっぱり雇わないと厳しかった。相手、何人投入してきたと思う?」
「五人くらい?」
 笠間土浦間の街道を追ってきた三人を思い浮かべ、言った。
「はずれ。外のと合わせたら、死体だけでも、十五はあるよ」
「うそ? じゃあ……」
「確実に、バレた。土浦の守備隊にまで嗅ぎ付けられると厄介だ。歩けるなら、今すぐにでも出発したいくらい」
 そこまで説明すると、俊介は鞄から水筒を取り出した。
「……ちょっと、喋り疲れたから休憩。訊きたいことあれば、答えるけど」
 水筒の蓋を回して外し、コップ代わりにして麦茶らしきものを注ぐ。それを一息に飲み干して二杯目にいったところで、あまり深刻な声にならないように口を開いた。
「……拓真に、何かあったか知ってる? すごく辛そうにしてるから」
 だが、配慮も虚しく、一つ目の質問から俊介を固まらせてしまった。
 やはり、何かあったのだ。
「何? 教えてよ」
「……ごめん。僕からは話せない。直接聞いて」
 俊介はそう言うと、三杯目の麦茶に手を伸ばし、飲んだ。

 なんだか、自分の居ない間に話が進んでいるようで、不愉快だった。




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