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「……なんてね。そんなの、建前だよ」
 あおいはオムレツの破れた場所からぽろぽろ零れるライスを、フォークで一ヶ所に掻き集めながら言葉を繋いだ。
「拓真。いい? 正当化していい殺しなんてない。殺しは殺し。他人の人生の可能性を奪うことなんだからね? 生きるためなんて、理由にならない。私は何かのために人を殺したことなんてない。死にたくないから殺すの。利己的だけどシンプルでしょ? 生きるための殺しなんてもっともらしく飾ったって、結局は自己中なんだよ。……昨日はすごく苛々してて、甘いなんて言っちゃったけど。本当は拓真の言う通り、殺さない方が良いに決まってる」
 一息に言い切ると、ただテーブルを見つめ、奥歯を噛み締めていた拓真がふと顔を上げた。
「……じこちゅう?」
「ん? ああ、自己中心で物事を考える奴のこと。昔の日本ではこの略し方が流行ってたの」
「ふーん」
 大して興味もなさそうに呟いた彼は、あおいと同じようにライスを掻き集めて、皿ごと持ってフォークと皿の接触で大きな音を立てながら一気に口の中へ流し込んだ。我が旅の連れに相応しい食べ方だが、下品だ。隣の席の主婦がマナーが悪いぞとでも言いたげにこちらを見ていた。その目の前で、あおいも同じようにして口の中へライスを放り込んだ。
「真似すんなよ」
「たまたま一緒なだけー」
 マナーだとか、そういうものは嫌いだ。ちらりと主婦を見たら、唖然とした表情だった。
「まったく、大口開けてみっともない」
「あ、私の教えた言葉。そっちも真似だ」
「作ったのはあおいじゃなくて、俺らのひいひいひい爺さんくらいの人たちだろ」
「甘いね。もっと昔からあるよ。"みたくもなし"から派生した言葉なんだから、それ」
「……なんでそんなことまで知ってんの? すごくねーか?」
 珍しく尊敬した視線を向けられ、あおいは少し顔が熱くなったのを自覚した。
「歴史が好きなだけ」
 図書館のある街に着くたびに、毎回寝ずに歴史書や何かを漁っている成果だった。完全に趣味の領域ではあるが、あの時代の知識は豊富だと思う。俊介には知られているが、拓真には気持ち悪がられるかと思って言っていない。
「そういえば、拓真って趣味とかは?」
 まだ二か月前、会ったばかりだ。ようやく日本語でのコミュニケーションが取れるようになってきた拓真の具体的な生い立ちは、シンガポール周辺から逃げてきた、ということしか分かっていない。旅での経験を軽口で語っても核心の部分は本人もあまり話したがらないから、それほど深くは知らなかった。趣味程度ならさすがに嫌がらないだろうと思って訊いたが、拓真は困ったような顔をした。これもまずかったのか、と考えていると、
「ない」
 という言葉が返ってきた。
 あおいは苦笑してから、立ち上がった。
「……なぁんだ。話したくないわけじゃないんだ」
「何? 小さくて聞こえねえよ」
「なんでもなーい」
 伝票を取ったあおいは、口の周りに着いたケチャップをおしぼりで拭いてから、会計に向かった。
「趣味なんてなくてもいいけどさ、あった方が楽しいって。絶対。バイク売っ払って金入ったし、少し街歩いてみよーよ」



***



 枕元に置いてある腕時計を手に取り、時間を確かめてから左腕にはめた。
 ベッドの上で目覚めると、いつの間にか朝だった。
 三日ぶりのまともな睡眠をとり、頭痛のする体を起こした俊介は部屋を見渡した。真ん中のベッドは空で、一番窓際には黒いTシャツに短パン姿の拓真が眠っている。いないのはあおいか、どこに行ったんだろうと思って立ち上がろうとすると、何かを踏んだ。ベッドとベッドの間に、あおいが落ちていた。
「ぅぐっ」
 床に足を付けるつもりでいたので容赦なく腹のあたりを踏み込んでしまった。呻き声に気づいて慌てて足を退けた。
「うわ、ごめん。でも、なんでそんなトコで寝てんの……」
 返事のつもりか、意味の通らない言葉を発したあおいは眠そうに眼を擦ると、ベッドの端を掴み、よろよろと起き上がった。
「……?」
「あらた……」
「……え?」
「……がいや」
 そう呟いてから、あおいは再びベッドに這い上がって眠った。
 完全に寝惚けていた。俊介は一人苦笑してから、部屋を歩いた。荷物は昨日の夕方に置いた時のままだ。大きめのボストンバッグの中から財布を捜しあて、俊介は朝食を摂るため宿を出た。二人はあまりに気持ちよさそうに眠っているので起こさないでおいた。



 腹が先程からカロリーを求めて激しく攻撃を加えていた。
 ちょうど、ラーメン屋の屋台が出ていたので、その屋台に入り、一番お勧めの奴、と注文した。どの街にもラーメン屋が数店舗はある国民性も、さすがに朝からは鳴りを潜めている。客は俊介一人だった。

「お待ち」
 それほど間をおかずに出てきたラーメンの湯気に当てられ、さらに激しく空腹を主張した腹に我慢できなくなった俊介は、素早く箸を割って、手をつける。
「っんまい!」
「……お客さん旨そうに食うねえ」 
 絶品のしょうゆラーメンをすすりながら、俊介は店主の言葉に笑って頷いた。
「そりゃそうですよ」
 姉に食料を食い尽されて三日間何も食べてなくて、死にそうだったんですから。
 俊介はそれから一気に一玉目を食べ切ると、替え玉を頼んだ。


 ラーメンを食べながら、俊介は拓真との出会いを思い出していた。
 拓真と出会ったのはとある街のラーメン屋でだった。取るに足らない出会いだが、自分たち浮浪者の出会うきっかけはそんなものだ。
 日本語が分からなかった彼は、いつもガラの悪い浮浪者が陣取っている席に座ってしまい、どけと言われたが当然言葉が分からないので無視していて、ラーメンを食べ続けていた。浮浪者連中は下品な言葉で拓真を罵り放題。しまいには頭を小突いたりして反応を笑いはじめた。拓真はそれすらも無視して、写真付きメニューのねぎ味噌ラーメンを指差し店主に注文していた。あまりに徹底的に無視するものだから、周りを取り囲んだ連中のにやつき顔が徐々にひきつり始め、最終的には無理矢理振り向かせて殴り飛ばすまでになった。もともとそれが目的だったのだろうが、今までに彼らを見た中では、一番いい打撃を拓真に加えていた。
 そして一人が転がった拓真の財布に手を伸ばしたところで、彼は無視するのをやめた。まず手始めに財布に伸びた手を掴んで引き、立ち上がる反動でそいつの顔面に膝蹴りを見舞った。そして空いた一点から店外に飛び出し、そのまま逃げ去るのかと思いきや、彼を追い外に出ようとした男の顔面に、振り向きざまを一発。
 賞金稼ぎから身を潜めることに成功し、当時は既に襲われることがなくなっていた。少し間隔を取って食べていたあおいと自分は、その街に滞在しているときはいつもあの格安ラーメン屋で過ごしていて、奴らの悪童ぶりを間近で見ていたが、面倒事に首を突っ込み嗅ぎ付けられるのを嫌って、見過ごしてきた。
 しかしあの時はそうはいかなかった。拓真に殴り倒されたリーダー格の巨体があおいに衝突したのだ。戦闘の行方に興味もなくひたすらラーメンを啜っていたあおいが、背後からの衝撃で顔面からとんこつスープに突っ込み、大盛りどんぶりを注文していたのが災いして前髪から顎まで濡らしてしまっていた。
 当然、ブチ切れた。それからは拓真と激しい喧嘩になり、連中は巻き添えになって大けがをし、店主の通報により街の守備隊がなだれ込むことになった。収拾がつかなくなり、結局、関わることになってしまった俊介は、駆け付けた連中の増援に守備隊が手を焼いているうちに店内の窓ガラスを撃ち抜いてあおいに脱出を促した。
 
 あおいと共に脱出すると、背後には見知らぬ男が立っていた。先程あおいと激闘を演じたのに、さして疲れた様子もない男。彼も同じ方向に逃げてきていた。
 顔立ちが日系の褐色の男は拓真と名乗った。片言の日本語で、俺と組む、楽できる、と言った。
 そこで、あおいがにっと笑って俊介を見た。こいつ、面白そうじゃん。聞かなくても分かっていた。そう顔が語っていた。彼女を止めようと反論の口を開いたがもう遅かった。あおいはその男……拓真と同行することを決めていた。
 


 
 思わぬ臨時収入があったから、この街では羽を伸ばせそうだ。
 ラーメンを三玉おかわりしたあと、俊介は満足して店を出た。後であおいたちも連れてこようと思い、ここでいつもやっているということを念のため確かめておいた。それからしばらく街をうろつき、帰り際に露店で冷えたクレープを三種類買って、宿に戻った。
 睡眠不足で四六時中体が重かった砂地の行軍は、あおいが初日にほとんどの食料を消化してしまったことから過酷になった。守備隊に見つかったのは拓真が日雇いの給料を貰おうともたついていたからで、そんな理由で追われることになった彼女は腹を立てていた。腹を立てると彼女はすぐそれが食欲になる。気付いた時には水しか残っていなかった。しかし彼女に食料を持たせた自分の責任もあるわけだから、俊介はもう、そのことに関して怒ってはいなかった。水さえあれば三日くらいどうにでもなることは経験上知っていた。
「どれがいい?」
 なぜかベッドの上に折りたたみタイプのプラスチック将棋盤を挟んで向かい合っている二人に訊いた。
「おっ! 気が利く! ちょうどお腹が減ってきてたんだよ。あたしイチゴね」
「じゃあ俺は……そのバナナ? が入ってるやつ」
 二人にそれぞれクレープを渡して、俊介は残ったシナモンアップルを口に運んだ。
「何やってるの?」
 一口食べてから口を離し、将棋盤を顎で指した。
「将棋」
「それは見れば分かるよ」
「ああ、ごめんごめん。拓真の趣味探し。いろいろ教えてやってるんだけど……拓真がさぁ、何にも興味持ってくんないんだよね。オセロも囲碁もダーツも酒も読書も音楽も映画もぜーんぶダメ。昨日一通りやってきたのに大して面白くなさそうだった」
「え、普通に楽しかったけど。つまんなかったのか?」
「……ううん。た、楽しかったよ」
 あおいが小さな声で呟いた。
「……そのくらいで照れなくても」
 俊介も小さく呟くと、あおいが普段の表情を取り戻し、睨みつけてきた。照れ隠しのつもりなのか、それで。
「それに映画なら趣味にできるかもしんないし。クロサワアキラとかなら」
「黒澤明かー。どっちかって言うと僕は音楽だからよくわかんないな」
「いいんじゃない。とりあえず、見つかったなら。じゃ、今日は映画見に行こうよ。ね?」



***



「……敵は土浦の勢力圏内に入りました。どうしますか?」
「相手は三人なんだろ? 構わない。殺せよ。あの都市とは友好関係だ。武器使用の許可だって取れる」
「しかし、かなりの手練で……既に二人重傷で使い物になりません」
 砂地のど真ん中で、負傷者二人に破壊されたバイクが二つ、銃火器はすべて奪われた状況を連絡用無線で報告すると、呆れかえった溜息が返ってきた。
「増援を送る。取り逃がすな。顔と名前は覚えているのか?」
「はい。確か冬島あおいとかいう女と……」
「冬島あおい……? 確かか、それは」
「ええ。本名ならば、ですが」
「……負傷者には食料を渡してそのまま待つように伝えろ。お前は増援を平原まで迎えに行け。五部隊送る」
「五部隊!? どうしてまた……」
「理由は後で話す。指揮権はお前にやるから、今度こそ仕留めろ。いいな」




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