3

 街の中は広かった。
 追えば良かったと後悔してもどうにもならなかったので、あおいと別れた場所に程近い宿を見つけ、そこに部屋を取った。はぐれた場合は近くの場所で再合流というルールが姉弟の間にはあるらしく、すぐに来るだろうということだった。宿は二階建て。一室ごとにベッドは三つあるようで、ちょうどいい。ただ、しゃれた内装ではない。コンクリートに白い壁紙が貼られただけの簡素な廊下を歩くと、すぐに部屋の前に着いてしまった。後から一人来ると受付の女に言ってあるから、先に荷物を運びいれることにした。
 暗い部屋に荷物を担ぎ込み、電気を点ける。小銃は部屋の隅にある机の近くに置いた。受付の女は小銃を見ても、大した反応をしなかった。当たり前のように庶民が武器を持つ時代。武器のなかった時代をあおいに説かれても、理解できない。これが現状だった。
「もうだめだ。寝る」
 一番入口に近いベッドに、俊介が倒れこむようにして横になった。
 ベッドとベッドの間にはチェストが置いてあり、さらにその上に簡素な電気スタンドが設置されている。間隔はそこそこ狭い。
「じゃあ、夕飯食いに行く時起こしてやるよ」
「ありがとう。おやすみ」
 彼はそう言うとすぐに目を閉じた。
 まだ電気をつけるほどの暗さではないと思った拓真は、電気を消し遮光カーテンを開いた。窓から見える町並みは綺麗とは言い難かったが、生命力にあふれている。
 それから荷物を漁って拳銃を取り出し腰に掛け、部屋を後にした。

 午後四時。いい加減照りつけるのを辞めたらどうだと呟きたくなる日差しの中、宿屋近くの喫茶店の店内からバインダー越しに路地を眺めていた拓真は、あおいが通りかかったのを見て立ち上がった。コーヒー二杯分の会計を済ませてから外へ出て、路地に響く大声であおいを呼び止めた。狭い路地を歩いていた人が見つめる中恥ずかしそうに道を引き返してきた彼女は、伏し目がちに問うた。からかったことを謝ろうと身構えていたが、彼女はそんなことなど既に意に介していないようだった。
「宿、どこ?」
 目の前にある宿を顎で指すと、黙って扉に手をかけ中に入った。
「あおい、そっちじゃない」
 受付で全員揃った旨を伝えてから部屋に戻ろうとすると、廊下の最奥まであおいが歩いて行ってしまっていたので呼び止めた。
「……ああ、うん」
 気のない返事をした彼女は、表情を顔に浮かべるのを忘れたまま近づいてきて、部屋に入った。
 様子がおかしいと思い声をかけるが、彼女はさっさと真ん中のベッドに潜り込んでしまった。
 拓真は一番窓際のベッドに座り、背を向ける彼女にもう一度話しかけた。
「無視すんなって。……何かあったんだろ? 言えよ。聞くから」
「あは……何真面目な声出してんの? なんでもないよ。疲れたから、寝るね。戸締りお願い」
 彼女は薄いタオルケット一枚にくるまり俊介の方を向いたまま、靴下を脱ぎ、床に放った。
「銃」
「……」
「呼びかけた時、でかい銃、捨ててた。あれ、何だ?」
 背を向けた彼女が息を潜めた気配が伝わった。
 しかし言葉が返ってくることはなかった。拓真はため息を吐(つ)いて、宿に備え付けられているテレビのリモコンを手にした。
 テレビは、各地域に残っていた録画番組や映画などを、電波に乗せて流しているだけだ。既にテレビという媒体に人々が興味を示さなくなっていたから、自分が知るこれまでの街では新たな収録や放送は行われていない。手元に置いてある番組表に、映画専門チャンネルの紹介があったので、その番号を押して、時間を潰すことにした。



 黒澤明の『野良犬』という映画を見終え、何気なく視線を感じて後ろを見ると、あおいも寝転がりながらテレビを見つめていた。
「起きてたのか」
「……一生懸命見てるから、声掛けるの悪くて」
 彼女の言葉通り、この映画にはついのめり込んでしまっていた。
「見た? 遊佐の叫び」
 最後くらいは見ていたかと思って声をかけると、
「あー、あの、犯人の人の? 佐藤刑事までやるなんて、許せないよね。だけど、最後は少し遊佐に惹きつけられちゃった」
 予想以上の答えが返ってきた。
「……随分前から起きてたんじゃねえか」
 言葉に詰まったあおいは頬を掻いて、目を伏せた。それきりまた、黙り込む。普段は際限なく喋るくせに。厄介な奴だ。
 自分に対して言いにくいこと。
 少しの間考えてから、拓真は訊いた。
「……人を、殺した?」
 大して気になってもいないだろうタオルケットのほつれを毟っていたあおいが、動きを止めた。
 自分に、言いにくいこと。それは大体想像がついたし、捨てていた銃も目に入ってしまった。あんな大型の銃、いくら扱いに慣れていてもあおいが買いたがるような代物じゃなかった。となれば、どこかから手に入れたということになるが、それを売らずに捨てること自体、貧乏な旅資金を知っているなら考えにい行動だった。人目に触れさせず、すぐにも捨ててしまいたい銃。
「そうだよ。殺した」
 あおいは軽く首を傾けて言った。
「まあ、ねえ。ここまで生きてくるのには、苦労したんだよ」
 口ぶりから昔話でも始まるのかと思いきや、あおいは立ち上がって部屋の中を歩き、窓際に身を寄せた。
 時計を確認すると、午後六時十五分だった。今は夏真っ盛りだから、まだ夕暮れ時だ。太陽が彼女の頬を茜色に染めている。
「ここから狙撃すれば、あの窓際に居る奴ら、全員消せるな……」
「は?」
 物騒な呟きに眉を顰めて訊き返した。
「……怒らないの?」
 拓真は首を横に振った。
「三人一緒に行動してるとき、いつも必死に止めるのに?」
「誰だって、目の前で人が死ぬのは見たくねえよ。……それだけだ」
 本当にそれだけなのか、という疑問は胸の奥に押し留めて、拓真はあおいの横顔をじっと見た。無表情を作ってはいるが、どこか思い詰めた表情。それだけで充分だった。
「んなことより飯食おうぜ飯。喫茶店の隣のレストランに、すっげぇうまそうなオムライスのレプリカが飾ってあったし。俊介起こしてさあ」
「……ごめん。パス。一人で食べたい」
 彼女は窓際に寄り掛けていた体を起こすと、そのまま部屋の入り口に向かった。
 拓真はその肩を引っ掴んで止めた。
「絶対食べた方がいい。あのオムライス」



***



「空いている席は窓際のみとなりますが、よろしいでしょうか?」
 感じのいい笑顔を向けてきたウエイターの声に頷こうとすると、
「すいません、窓際はちょっと」
 外向けの表情を作ったあおいが断った。
 困惑した様子のウエイターだったが、店内を見回してからほっとしたような顔を浮かべた。
「少々お待ちください」
 レストランの最奥に目を向けた彼は、そのまま歩き去っていく。


「ごゆっくりどうぞ」
 丁寧にメニューを渡された拓真は軽く会釈をして応対した。普通のファミリーレストランのようなメニューなのに、店員の対応が礼儀正しい。
「俺オムライス。あおいは?」
 周りは週末ということも手伝ってか、家族連れが多い。雑音に負けないような声量で訊いた。
「なんでもいい。あ、飲み物頼んで。適当なビール」
 ぶっきらぼうに言うと、彼女はテーブルに肘をついて、店内を見渡した。
「平和ボケした街ね、ここ」
「平和な方がいいに決まってる」
 ウエイターを呼ぶベルを鳴らした拓真は、彼女の横顔を見ながら零した。
 俊介は結局、何度起こそうとしても起きなかったのでホテルに置いてきた。
「……たまーに、潰したくなる時ない? 幸せですって笑顔見てると」
 渡されたおしぼりで手を拭いていた彼女は、拓真の目を見つめ直すと平坦な声で言った。奥にある表情を読み取る前にウエイターが来たので、拓真は料理を注文した。

「あおいって、ときどきすげぇ顔するよな」
 数ヶ月の間に何度か見た無表情と、潰したくなると言った今の無表情を思い出す。ただ単に機嫌が悪いだけかと思っていたが、今までの無表情たちもそういうわけではないのだろうか。
「そう?」
「人を殺した後は人格変わるとか?」
「ばっかじゃないの」
 少しだけ赤みがかった顔のあおいは、オムライスを突きながら言った。既にビールは飲み乾していた。
「……拓真ってさー、ホントに殺したことないの?」
「ない」
「少し、踏み込んで訊いてもいい?」
「いいけど」
「身売りしたことある?」
 拓真は口に含んでいた水でむせ込んだ。
「はぁ? 何で男がそんなことすんだよ」
「実際、今流行ってるよ。奴隷みたいなのが。……殺しもしないでどうやって自衛してきたのかなって考えたらさ、自然にそうなるじゃん?」
「なんねーだろ」
「だって、島根辺りから来たなら砂漠をいくつも越えなきゃなんないよ。朝鮮側の土地はほぼ灰塵だし作物もない。おまけにまともに銃も使ったことないんなら、隊商とか御主人様とかに守ってもらえなきゃ……」
「サソリだって少し茹でただけで食えるよ、俺は」 
「うげぇ」
 あおいは品性のかけらもない声を出しながら顔を顰めた。
「金目のものは持ってませんよってアピールするのも上手かったと思うし。一人でもなんとかやってける。それに人を殺すのは……」
 そこで先程、飲み込んでいた自問が沸き起こりかけ、口を閉じた。
 本当にそれだけなのか。目の前で人が死ぬのが嫌だから、殺さないだけなのか。
 ――どうしてほかのひとがいきるために、ぼくたちがころさなければならないの?
 あの記憶がまたフラッシュバックして、頭痛が拓真を襲った。
 拓真は痛みに顔を歪め、幼い自分が叫び出そうとする衝動を堪えた。
「ど……どうしたの?」
 あおいがオムライスを口に運ぶ手を止め、拓真を見た。
「……何で、この街の奴を殺したか、訊いてもいいか?」
 頭痛と併存するのは、確かに"生きるために殺す"ことへの嫌悪だった。
 生きるため。その名目のもとであるなら、他を排してもいい。
 それは自分の母親を殺した奴と、同じ考えだ。
 ……お前もそうなのか?
 拓真は言葉には現さないにせよ、そういった意味を込めて訊いた。

「生きるためだよ。殺そうとしてきたから、正当防衛。自分を殺そうとする奴に、情けをかける必要なんてない」
 彼女の生き抜いてきた十一年に裏打ちされた結論が、拓真の耳に響く。
 あおいは少し悲しそうに、だが確かにそう言った。




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