16

 意識を取り戻してすぐに周辺の路地を捜索したが、完全に失探してしまった。深夜の暗闇のせいで、遠くまで見通しが利かなかった。
 まだずきずきと痛む頭を抑えながら、部屋の扉を開いた。
 凛が全員を起こすために怒鳴ろうと口を開きかけると、既にあおいが起きて、テーブルの上に取り付いていた。
「あ、凛! ちょっと、こ、これ、見て……!」
 彼女はテーブルの上に残された書類から手を離し、視線を上げた。見たこともないくらい視線が揺れ、狼狽した様子だった。
「……君も気付いたか」
「え、凛、知ってたの……?」
「誰かが動いているような音で目が覚めたんだ。で、部屋の扉が閉まる音がして……追って廊下に出てみたら、俊介だった。彼、昼間から様子がおかしかったから、後をつけてみたんだ。そしたら、理由を、話してくれた」
「そ……れで、俊、俊介は、何て?」
「……一時除隊が、解けることになったらしい。これで分かる、のか?」
「そっ……そんなっ! ……俊介は、今、どこ!」
 あおいが立ちあがり、凛に詰め寄った。
「逃げられた。いきなり顔を掴まれて、叩きつけられて……私が意識を失っている間に、消えていた。慌てて探したが、見つからなかった。だからみんなの力を借りようと……」
 凛が言葉を繋げようとすると、彼女は体を反転させ、書類を見つめて、それからまた凛に向き直った。
「あいつ、自分だけ、行くつもりだ! 何で、何で……? そうなったら逃げようって、一緒に逃げようって、言ってたのに……!」
 彼女にどう声を掛けて落ち着かせようか悩んでいると、襖が開いた。眠そうな拓真が、眼を擦りながら起きてきた。
「どうした?」
「俊介が、居なくなったの!」



***



 十三の時、初めて作戦の立案をした。もちろん、直接的に指示をしたわけではない。岩崎が指示をするという形を取る、作戦の立案だった。何故だかわからないが、こちらが採った行動を受けて、敵がどのように動くのか、透けて見えた。才能としか言いようが無いほどの作戦成功率だった。当時、戦闘に関する知識を教えられれば教えられるほど吸収して行ったし、自分もそれを望んでいた。あの政府に復讐ができるというだけで、嬉しくて仕方がなかった。
 しかし今は、そんなものはどうでもよかった。心の拠り所を復讐に求めたりは、しない。
 

 俊介は街を走り回ってようやく、その後ろ姿を捉えた。
「三村さんですよね。お久しぶりです」
 額に浮かんだ汗を拭い、息切れと胸の動悸を収めながら、歩み寄った。
 街の出口に近い交差点に設置されたベンチに座る人影は驚いたように振り向くと同時に、腰に手を伸ばす。
 もう、太陽は昇り、朝になっていた。
 彼、三村とは、何度か任務を共にしたこともある旧知の仲だった。俊介は、岩崎なら既に防衛線を張っているだろうと踏んで、街の出入り口となる十字路に顔見知りの姿を捜していたのだ。
「あ、心配しないでください。抵抗するつもりはありませんから」
 俊介が言うと、彼は腰に伸ばした手を止め、立ち上がった。
「お、おお。ようやく決心したんか」
 はい、と返事をした俊介は、続けざまに、「お願いがあるんです」と三村に言った。
「岩崎さんのこと、呼んでもらえませんか」
 

「一週間ぶりだな」
 岩崎に連絡を取ってくれた三村と共にベンチに座っていた俊介は、声を受けて、正面に立った人影を見上げた。スーツに左手を突っ込み、煙草を摘まんだ右手を軽く上げた岩崎が、鷹揚に話しかけてきた。彼がそういう態度を取る時は、油断ができない時だ。
「さすがに、逃げる様な真似はしなかったか」
「そこまで寝惚けた行動をとるような生活はしてませんよ」
 岩崎が言う程、浮浪者の生活は楽ではない。
「……で。あおいは?」
 抜かりの無い表情で、鋭い目を走らせた。脱退する前、倉庫の中、そして今。どの岩崎の目も変わりなかった。人を平然と殺している者の目だ。
「それについて提案があるんですが……」
「……聞くだけ、聞いてやろう」
 俊介は立ち上がり、それとなく岩崎の後ろに移動した。
「姉は、もう駄目です。軍人として、使い物になりません」
 ベンチのすぐ目の前には、パン屋がある。ガラス越しに並んだパンを見つめているふりをしつつ、後ろに居る岩崎を窺うと、彼の身体は俊介の座っていた場所に向かったままだった。
「あの拓真って奴が、姉を変えました。あおいはもう、作戦の立案どころか、人を殺すことですら、難色を示すでしょう。どうですか? 僕一人で、済ませるつもりはありませんか。それだけの働きをして見せます」
 パン屋の店員は一人。暇そうに店番をしている。
「自惚れるなよ。あおいとお前がいて、初めて一人前だろうが。光信さんが戻って来いって言ってるんだ。素直に従えばいい」
 俊介は交渉を成立させるつもりは元からなかった。それほど甘い組織なら、弱冠十三歳で類稀な戦術眼を見出されはしなかったはずだし、ここまで組織は成長しなかった。
「そうですか……そうですよね」
 呟くように言ってから、俊介は後ろ姿を見せたままの岩崎に近付き、腕を掴んで、同時に、自分の持てる全てを注ぎ込み、その身体を、パンが並ぶショーウィンドウとは反対の、ハイセンスな調度品が並んだショーウィンドウに叩きつける。
 ショーウィンドウのガラスは存外脆く、派手な破音とともに、粉々に砕け散った。
 音に驚いたパン屋の店員が、悲鳴を上げた。俊介は構わずに店内に踏みこむと、ガラスを突き破って転がり、血まみれの頭を押さえながら立ち上がろうとした岩崎を引っ張り上げ、腕を極めてその頸部を締め上げると、腰に差して居た銃を取り出し頬に押し付けた。
「……無線で、部隊の撤退を命令してください。所定の任務は終了した、と。一時除隊の詳細は、光信さんしか知らないでしょう。部下への立場もあるでしょうが、姉まで連れ戻す必要性はないはずです」
「……相変わらず、やる時はやるクソ野郎だな」
「早く命令を! 三村さんを使えばすぐに……」
 そこまで言った時だった。しっかりと身体を確保しているはずの岩崎の足が、瞬間的に動く。締めた腕は死んでも外さないと思っていた俊介は、足を救い取られ、背負い投げの要領で身体を傾けた岩崎により、仰向けのまま、ガラスが散らばる床に叩き付けられた。鋭痛に呻いて腕の力が少し弱まったところを岩崎は逃さず、振り解いた。背中だけに刺さった俊介とは違い、全身にガラスが刺さり、痛みのせいで、振り解くどころではないはずなのに。
「俊介ぇ……やっぱお前、温くなったわ」
 ガラスの破片も気にせず手を突いて、立ち上がろうとしたところで腹を踏みつけられた。首を上げかけていたため、床に頭を打ち付ける。
「街から撤退させて、その隙にあおいが逃げてくれるとでも思ったのか? ……思い出せよ。俺は脅しに屈するような腰抜けだったか?」
 岩崎は、頭に刺さった一際大きなガラス片を抜きながらそう言って、煙草を取り出し、火を点けた。
「三村! 来い。次はあおいだ」



***


 
 あおいの動揺をどうにか鎮めた拓真は今、街中心部からの街路を軸に三方向に出口を持つ十字路の、左側の街路を身一つ携え走っていた。右側の街路はあおい、中央は彰と凛だ。小銃は走行の邪魔になるだけだと思ったため、置いてきた。
 直接聞いたわけではないが、彼女にとって俊介はかけがえのない弟であり続けた。……そしてまた逆も然り。俊介にとって、あおいは十年以上も共に生き延びてきた、大切な姉だった。だからこそ、一人で一時除隊とやらの約束を果たしに行ったのだろう。勝手に、気を働かせて。拓真は走りながら歯を食いしばった。勝手だ。本当に、自分勝手だ。凛の話では、一週間の猶予があった。一週間。どうして黙っていたんだ。自分が、あおいが、幸せそうだったから。じゃあ、お前はどうだったんだ。お前は、幸せじゃないから、行ったのか。違うだろう。お前も、俊介、お前も、幸せそうに笑ってただろう。
 街の勢力圏を飛び出してしまい、拓真は元来た道を駆け戻る。全力疾走を続け息が切れ始めたが、気にせず走り続けた。そんな自己犠牲は、許さない。絶対に連れ戻す。エペタムがなんだっていうんだ。十八にすら満たない子供を平然と使役するテロ組織が、一丁前に約束だのを振りかざすな。

 俊介、俊介、俊介……。
 知らずのうちに弟の名を連呼しながら、あおいは右側の街路を必死で戻る。いない。どこにもいない。となれば、左か中央の街路だ。一端交差点に戻ろう。きっと岩崎は、茨城から出さぬよう、街を南下するための道をふさいでいるに違いないと思った。そしてそのどこかで俊介のことを張っている。あわよくば、彼と接触する前の俊介を寸でのところで止められるかもしれない。会ってどうなる、とまで頭は回らなかった。本当のエペタムを知っているのは自分ひとりだったが、あおいは今この状況で岩崎や俊介と接触することの危険性を思考の端に寄せ、その事実から逃げ、楽しい時間の終わりを告げる時計から目を背けて、走っていた。信じたくなかった。もういいでしょ、と誰かに向かって叫びたかった。もう、自分は、充分過ぎるほど死を背負ってきた。もう、放っておいてほしい。ようやく、信じられるものが見つかったのに。ようやく、逃げ切れると思ったのに。

 前を走る彰に遅れないよう、宿の部屋で不安そうに見上げた未由の頭を撫でた右手を大きく振り、もつれる長い足を叩きつけるようにして走りながら、街路を行く。人の流れが不自然だった。何かから逃げるようにして、凛とすれ違う人の群れ。足早に、凛と同じ方へと向かう、好奇に爛々と目を光らせた人の群れ。何かが起こっている。
「彰っ!」
「何!」
「戻って、あおいたちと再合流して来てくれ。私が、様子を見て、何もなかったら戻る。もう、私、体力が……」
 彰が走るペースを落として、激しい呼吸に喉を詰まらせている凛の隣に並んだ。
「分かった。凛、絶対に無理すんなよ」
 その声に頷くとそのまま前を向き、足を叱咤した。
 そして彰と別れてから少し経ったところで、凛は人が街路の左側に見えた宝石店の前に集(たか)り、群がりながら反対側の店舗に目を向ける様子を確認した。凛は激しい息切れを携えたまま、その中の一人に事情を聴いた。
「いやね、ガラスが割れる音にびっくりして振り返ったら、突然あそこのパン屋さんで取っ組み合いが始まってね。最初は喧嘩かと思ったんだけど、それが収まった今は変な男たちが陣取りはじめて。警備隊に連絡を取ろうにも、首長さん、まだ警備入れてないじゃない?」
 他人事の口調で嬉しそうに話を続ける老婆から、ガラスが散乱するパン屋へ目を転じさせた。妙に擦り切れたスーツを着た男たちが五人、パン屋の入り口に陣取っている。目を凝らせばその奥に、見慣れた人物が手を後ろに回され、酷い打撲に顔を腫らして床に座らせられていた。俊介だ。凛は、その様子をぐっと目に焼き付けてから、歩き出した。
 近付いていくと、そのうちの一人が底冷えのする笑顔を浮かべて、何気なくパン屋への侵入を拒んだ。
「あ、ちょっと、入らないでください。少し、取り込み中で」
「どういうことだ。ここはパン屋ではないのか? 商品もしっかり並んでいるように見受けられるが」
「人待ちでね。君も、つまらないことで死にたくないだろう。巻き込まれないうちに、下がったほうがいいよ」
「納得いかないな。ちょっとだけでいいから、店の中で縛られている男と話をさせてくれ」
 妙な金属音が聞こえた、と思えば、次の瞬間には男は凛の足もとへ向け銃弾を一発放っていた。凛の左足爪先をかろうじて避けてくれたその弾を射出した銃は、次に凛の額へと向けられていた。
 凛は憮然とした表情でその銃を構えた男を見上げ、そして凍りついた。
「担当員。機密へ強引な接触をしようとする人物がいます。射殺の許可を」
 まるで部屋を飛び回る蚊を叩き落とそうとするような、そんな無表情が凛に向けられていた。
 凛は三十五度はあろうかという真夏の熱を全身に浴びているにも関わらず、体中が冷え、震えが始まるのを感じた。それなのに、目の前の、自分より年下であろう男から目が外せない。
「許可しない。無駄な死人を増やすな。処理に困る」
「……殺さなければいいんすよね」
 凛が激しい震えにより立っているのもやっとになっていることを知ってか知らずか、男は軽い動作から足を振りあげると、その緩慢な前儀の直後に、鋭く足を振り抜いた。何か底に尖ったようなものが仕込まれた靴で、ショートパンツの下、肌を露出した部分を蹴りつけられ、激痛が走りその場に膝を突きかけた。それを許さず肩口を蹴りが再び襲い、凛は無防備なまま、コンクリートに顔面を打ち付けた。
 たちどころに制圧された女に更なる打撃を加えようとしたその男は、街路に騒々しい足音が響いていることに気付いた。野次馬とは異質な足音。獲物がようやくお出ましか、と、男は視線を移した。




inserted by FC2 system