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『あおいは先程からそう言ってるが、お前はどうなんだ、俊介』
『……! 俊介、いつからそこに……』
『姉ちゃんがいうなら、そうします。……ただ、政府への恨みは、一生忘れません……』
『……いいだろう。本人の意思ならば、脱退を許可する』
『本当ですか!?』
『ただし、条件がある。五年後……いや、もっと早いかもしれない。叛乱に十分な力をエペタムが蓄えた時、部下を送る。その時は大人しく戻れ。呑めなければ、機密を多数抱えたお前達を生きたまま出すわけにはいかない』




 帰り際、街で、岩崎に会った。
 この間はありがとうございましたと丁寧に挨拶をしたつもりだったが、彼は話もそこそこに切り上げ、場所を移そうと提案した。
 二人は、あおいが今日働いていたはずの零細企業の名前が入口に記された倉庫まで歩みを進めた。疑問に思っても、現役時代から信頼している先輩である岩崎だからこそ、何か考えがあるのだろうと、このような場所までついてきた。
 しかし、仕事上がりの深夜、電灯もまばらな薄暗い倉庫で男六人に囲まれたこの状況はどうだ。久方ぶりに苛立ちという感情が戻ってくる。岩崎に促された俊介は、わざとらしく音を立てて、用意された椅子を引き、岩崎の正面に座った。
「まあそう怒んなよ。今日は話をしに来ただけだ」
 灰皿に煙草の灰を落とした岩崎は、もう一度口に咥えて滑舌悪く言った。
 俊介はその間に周囲に目を走らせ、男六人の顔を確認した。見たことのある顔が二人。岩崎の後ろと俊介の後ろにそれぞれ三人ずつ立ち、会話を監視するかのようにただ立っている。
「この間、エペタムを辞めたって言ってましたけど。まだ所属していたんですね」
 周囲から叩き付けられる殺気を受け流しつつ、零した。エペタムに所属している者が接触してくるとしたら、理由はひとつ。
 苛立ちは、すぐに消えた。
「ああ。嘘をついて悪かった。だがもう、察しはついただろう?」
「一時除隊の、期限が切れたってことですか?」
 ――叛乱に十分な力をエペタムが蓄えた時、部下を送る。その時は大人しく戻れ。
 俊介は、極悪非道な暗殺者集団、と政府が名指しして批判している反政府組織エペタムのリーダー、光信の言葉を思い出していた。
「そういうことだ」
「もしかして最近の戦闘も、エペタムが関わって……」
「病院のはな。お前らが笠間といざこざを起こしたのは当然俺にも伝わってきていた。間近でお前の戦闘勘が鈍ってないか確かめる好機だったし、あの時は、それを利用させてもらった」
「……意図が分かりません」
「笠間の隊長はうちの飼い犬だ。部下もほとんど抱き込んでいる。だが、どうにもエペタムに寝返ることを潔しとしない十五人の隊員が居た。そいつらは邪魔なんで、エペタムからの勧誘があったっていう上申を部隊長で止めさせておいて、"逃亡者との撃ち合い"の中で消えて貰った。疑問に思わなかったか? いくら警察組織が弱体化したとはいえ、十五人も死んで、問題がそれ以上大ごとにならなかったのか、ってな」
 十五人を謀殺したことに対し、さして悪びれる様子もなく彼は言った。
「姉を襲ったのは違うんですか? 死んだ十五人の中には、姉を襲ってきた奴はいませんでした。それにあの練度、エペタムでなければいったい誰が……あれも、能力確認をするためのものでは?」
「いや、違う。俊介を足止めしたのは土浦の守備隊だって確認が取れてるが、あおいを襲ったのは、不明だ。エペタムじゃない。能力確認のために同士討ちのリスクを負わせるほど俺も馬鹿じゃないさ」
「……何にせよ、笠間の十五人をけしかけたのはエペタム、か……。相変わらずやり方が薄汚いですね。一時除隊者の能力確認と邪魔者の始末を同時にこなすなんて。さすがは反政府勢力筆頭だ」
 俊介は、周囲の殺気に呑まれないよう語調を強め、言った。病院で岩崎、大島、拓真、雇った浮浪者らと共に殺したあの十五人は、笠間の自治体が冬島の名前に気付いたために襲撃してきたものだと思っていたが、事情はまったく違ったようだ。
「はっはっはっ……。お前ほどじゃねえよ。"エペタムの人喰い刀"なんて政府にあだ名されたのはどこのどいつだ」
「エペタムっていう名前自体がアイヌ民族の伝承に残る人喰い刀なんです。その通り名には矛盾が生じる。それに僕らは幹部なんて名ばかりの、体の良い使い走りでした」
「使い走りの働きとは思えねえけどな。お前の場合、戦術の鬼才なんてレベルは超えてる。悪鬼だのとのたまわれるよりはいくらかマシだろ」
 彼は煙を吐き出すと、それから灰皿にタバコの先端を力強く押し付けた。
「姉の方は頭も腕も鈍っていたようだが、お前はむしろ強くなっている。ただの一浮浪者が一瞬にしてあそこまでの迎撃態勢を整える頭の回転の速さ。エペタムの精鋭を率いたらどうなるか、考えただけでゾクゾクするだろ?」
「連れ戻されるんですか?」
 俊介は彼の言葉には乗らず、訊いた。
「もちろんだ。少し関係ないことを話しすぎたな。政府の力は確実に弱まっている。止めを刺すならここしかない。……冬島が戻る時期が来た。三年前、エペタムと政府の戦闘中に、戦略展開の見解相違から冬島姉弟はエペタムから脱退した。政府はそう認識している。俺たちもそう思っていた。それが、どうだ? 担当の茨城に入った時から部下に確認させてたが、まるで腑抜けきった生活をしてるじゃねえか。……本当のことを聞いて、がっかりしてるんだぜ。俺たちは。これ以上、昔馴染みを落胆させないでくれ」
「……腑抜けた生活、か。これでも生きるために必死なんですけどね。岩崎さんも、相変わらず厳しいなあ」
「そんなことはいいから、答えろ。まさか一時除隊の交換条件を忘れたわけじゃ……」
「忘れてません。元々、姉が決めたことです。僕は戻っても……」
 構いませんよ、と口から零れ落ちそうになった時、俊介は言葉を紡ぐのを止めた。
「……例の日系人のことが気にかかるというのは本当らしい。信じがたいことだが二人揃って奴と懇意にしているという話だったな? ……俊介。あおいを、奴から引き離すのは辛いか?」
 長髪が目立つ部下らしき男に確認を取るように振り返り、部下が頷くと、最後に視線を俊介へと向けた。
「この街での任務が残ってる。お前らも、身辺整理があるだろう。一週間やるから、答えをそれまでに出しておけ」
「……断る選択肢はあるんですか?」
「はっ。自明のことだろうが」
 岩崎は、薄笑いを浮かべた。
「楽しい時間は終わりだ。あおいにも……あの日系人にも。そう、伝えとけ」



***



 なるべく考えから排除していた現実を、ついに突き付けられた。
 解放された俊介は、宿に戻り部屋の前まで歩いていた。工場での作業中は外していた、数分進んでいる安物の腕時計に目をやれば、深夜二時半だった。酷使された体よりも、気分が優れなかった。
 扉を開けてスリッパを入口で脱ぎ、部屋に上がる。真ん中にあったテーブルが避けられ、あおいが布団から転がって畳の上にはみ出し、窓の小部屋とを隔てる障子に顔を向けて眠っていた。手前には、誰も寝ていない布団がもう一枚、窮屈そうに皺を寄らせながら敷いてある。随分無理矢理スペースを作ったなと苦笑いしてから、鞄を静かに置いた。
「……楽しい時間は終わり、か」
 それは、間違っていなかった。

 楽しかった。
 拓真が加わり、また面倒事が増えると頭を抱えていた自分は、二人の会話を聞いて、時折話をまとめているだけだったが、次第に拓真とも、エペタム加入後会話が少なくなっていた姉とも普通に話すようになっていた。拓真のする、時にはあおいも加わってする常識外れのことを慌てて止めたり、旧時代の携帯音楽プレイヤーを買って三人で回して聴いたり、明らかに意識し合っている二人のことをからかったり、そういった普通のことが、楽しいと感じられるようになった。
 それでも。それでも、断るという選択肢は、ない。抗うことはできない。
 武力を持つ彼らからの要求を断れば、六人全員が皆殺しにされて、終わりだ。三年居なかったとはいえ、三年前時点の反乱計画から、大規模な変更はないはずだ。機密保持のためなら、死を以て口を塞ぐしかない。元々、一時除隊が認められたこと自体が僥倖だった。光信からの信頼があればこそ、冬島を手元に置いておきたいからこその話だったのだろう。
 度重なる戦争に巻き込まれ疲弊した日本と、内紛により四管区がそれぞれ独自路線を歩み始め凋落したロシア。それらを蹴落とし先進国入りを果たした中国と対EUの共同戦線を張るアメリカが、根本的な戦略の見直しを図ってから、日本は極東の重要な基地としての認識をされなくなり、大幅に駐留兵力を削減されたのが俊介の生まれる前だ。通常の国にとっては支配下から脱却でき歓迎すべきことだが、米軍の忠実な下僕であった政府は慌てて整え始めた軍備とそれに費やす資金すらも脆弱で窮地にあり、だというのに未だ国政に携わる者たちは腐ったままだった。
 そしてそんな政府と、ブラックマーケットで荒稼ぎした資金力を注ぎ込み、彼らの配備している武器以上のものを"ならず者国家"経由で手にしやり合い続け、国家転覆を本気で考えているエペタム。光信という男は、確信なしでは動かない。中国に対しかろうじてではあるが防衛線を張れる政府に、勝てると踏んでいるのだろう。

 しばらく黙って布団の上に座っていた俊介は、そこでようやく、あおいがうなされていることに気づいた。裂傷による後遺症、激しい痛みと高熱。隠しているが、あれだけの怪我をしてそのまま終わるはずがない。しっかり今日の分の薬は飲んだのだろうか。考えながら見つめていると、
「寝れないっ!」
 突然飛び起き、叫んだあおいと目が合った。
「……姉ちゃん、ちゃんと薬飲んでる?」
「一応、飲んでるんだけどね。あんまり効かないや。……って、あれ? 俊介だ。ごめんね、起しちゃった? ……あ、そうだ」
「ん?」
「おかえり。遅かったね」
 彼女は小さな頃から少しも変わらぬ純真な笑みを浮かべ、そう言った。俊介も笑顔を返そうとしたがうまくいかず、頬を掻いた。
「……少し、ミスしちゃってさ。怒られながら片付けしてたら遅くなった」
「そっか。疲れたでしょ。早く寝れば?」
 彼女は畳から布団に移った。布団は流石に横並びではなくL字型のようになっていて、あおいの枕と俊介の枕の先には全員分の荷物が雑多に寄せられていた。
 俊介も体を横たえ、首のあたりまで毛布を被った。
「……ねえ、俊介」
 目を閉じようとすると、あおいの声が天井に向かって伸びていた。俊介も天井を見つめ、言葉を返した。
「何?」
「……まだ、政府のこと、恨んでる? まだ、組織に戻りたい?」
 俊介は心臓が大きく跳ねたのをどうにか抑えた。
 両親が死んだ時から今日まで、政府への思いに関しては触れないでくれていたあおいだったが、この間、つい怒鳴って彼女の話を遮ってしまったことを気にしてくれていたのだろう。暗黙の了解の部分に、踏み込んできた言葉だった。
 既に戻らないといけなくなった状況の中、あまりの間の悪さに少しの間頭が回らず混乱したが、
「そりゃあ、もちろん政府は恨んでるけど……貧乏だけど毎日、楽しいし……。いつかしっかりとした街に住んで、みんなと、一緒に暮らせたらいいなあって思うよ」
 どうにか言葉を絞り出した。
 そして自分が言ったあまりにも適当な夢想の言葉を反芻した。居た堪れなくなると同時に、姉に対して嘘を吐いたことによる罪悪感や、このまま組織から逃げ切れた場合の想像まで湧き出させる言葉。
「……良かった。あたしね。もう、組織には戻るつもりはないの。どうにかあの賞金稼ぎも撒けたし、組織からの追手もうまく撒けるんじゃないかって、ね。拓真たちには、近々話そうと思ってる。それにあたしはもう二度と、人なんて殺したくない。……エペタムにいた時の岩崎さんにこんなの聞かれたら、殴られるかもなあ」
 本当のことが口から零れることをどうにか抑えることには成功したものの、自分が言ったはずのその適当な夢想の言葉のお陰で、あおいは安心した声音で語り掛けてくる。
 いま彼女が浮かべているであろう表情を容易に想像してしまい、俊介は益々言い出せなくなってしまっていた。
 ……無理なんだ。それは。もう奴らには、完全に捕捉されてるんだ。
 こう言えば、すぐに話が終わるのに。
 しかし、わずか十九年の間に絶望を繰り返し、ようやく拓真という光に導かれ始めた彼女に、そんな言葉を投げかけることができるはずもなかった。
 ようやく。ようやくなんだよ、岩崎さん。
「……そうだね。あの凄腕も撒いたんだ。僕らならきっと、エペタムからも逃れられる。……それでいつか、堂々と街の中を歩いて、ちゃんとした家に住んで、静かに人生を終えられる日がくるよ、きっと」
「そうなると、いいね」
 あおいは嬉しそうに言うと、それきり口を噤んだ。


 そして彼女が再び眠りに落ちたころ。
 安心しきった、静かな寝息が耳に届く。
 明日も、明後日も、これから先も、拓真の隣に、弟の隣に、浅井兄弟の隣に在る日常が続いていくと信じ、期待している彼女の、安らかな感情表現だった。
 堪えきれなくなった俊介は、毛布を頭まで被った。




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