13

「依頼ナンバー82、始末した」
 男は紫煙を燻(くゆ)らせながら連絡用無線に面倒そうに吹き込むと、仕立ての良いスーツを着込んだSPと共に転がっている防衛省の高官を見つめてから、バイクを発進させた。
「次のターゲットが決まったら、また知らせる」
「分かった」
 無線を切り、腰に付いているホルダーにしまった。
 ……次の任務の前に「名前のない街」へ寄らないとな。
 岩崎哲郎(いわさき てつろう)は煙を大きく吸い込んでからタバコを人差し指と親指で摘まんで、投げ捨てた。



***



「トロトロしてんじゃねえ! さっさとしろ!」
「はい」
「これだから女は使えねえんだよな……」
 先程からの高圧的な態度に、あおいは男が背を向けた瞬間に台車を突っ込ませて仕事を辞めようかと思ったが、残金一万二千円の状況を思い出し、どうにか思い留まった。
 二百キロ程度の物品が乗せられている台車を足を踏ん張らせ押し出しつつ、軽快に歩いていく男の後ろについていった。肩につくほどの長髪が目に付く。
「あそこにあった木箱全部、この板の上に全部移しとけ。分かったな。落としたらその分は買い取ってもらうから、丁寧に扱えよ」
 命令した長髪の正社員はそう言うと、あくびを零し、どこかへ向かった。
 男が行った瞬間、あおいは思い切り台車の上の木箱を蹴っ飛ばした。しかし頑丈で重量のある木箱はびくともしない。溜息をついて、一番上の木箱から降ろし始めた。重い物で一箱四十キロはあるが、台車を貸してもらえただけよかった。力を入れて降ろし、慎重に板の上に置いた。その場でありつける日雇いの仕事はこの程度。日雇い紹介専門の店に斡旋してもらった仕事の中で、凛にも出来そうなものを残してやったから、彼女は弁当の工場でライン作業を行っている筈だ。男三人は……生きていればいいのだが。腰を痛めないよう姿勢に注意して、あおいは次々と木箱を移していった。台車に載せられたものがなくなるころには、多量の汗のせいで額に髪が張り付いていた。
 そしてまた、台車を押して元の場所へ向かった。数百キロに耐えきれる台車自体も重く、通路脇に陳列された商品にぶつけてしまわないようしっかりと押す。
 荷物を台車に載せる、荷物を運ぶ、荷物を台車から降ろす。
 この単純作業を休憩なしで四時間繰り返したあおいは、正社員が戻ってきたところで、ようやく休憩を貰えた。
「……ま、そこそこのペースだな。午後の作業は三十分後だ。ほら、昼飯」
 お茶の入ったペットボトルを投げ渡された後で、ポリパックも投げ渡される。ポリパックにはおにぎりが二つ入っていた。
「ありがとうございます」
 平坦な声で言うと、それきり男から視線を外した。
「午後もしっかりやれよ。今日のノルマがクリアできたら上がって、事務所に来い。ちゃんと終わってたら明日も契約してやる」
「ありがとうございます」
 面倒だったのでもう一度、抑揚を変えずに言った。すると舌打ちが聞こえ、男がポリパックを開こうとしていた手を目がけて、蹴り上げた。
 あおいは突然のことで避けることもできず、手に持っていたポリパックは宙を舞ってしまい、飛びだしたおにぎりは二つとも倉庫の床に落ちた。
「あーあー落としちまって。うちは零細企業だから、それしか残りはねえぞ? 次からは気を付けろよ」
 他に雇われている人物がいないところを見ると、恐らく男の言う通り零細企業だろう。給料さえしっかり払ってくれれば文句はないが、見ていると数日中に潰れないか不安になる。そしていくら企業との力関係がはっきりしていても、こんな所で暴力沙汰などが起きて騒がれれば、この程度の企業、立ちどころに潰れてしまうはずだ。
 だから、ポリパックを狙った。
「……はい、気を付けます」
 労働力を求める場所なら、他にもある。寸分も謝罪の色を帯びないよう、あおいは不機嫌を露わにして言った。 
 男はそのまま帰る様に見せかけ、振り向きざまに首を掴もうとした。まだ首は傷が残っている。素早く相手の腕を取って、その背後に回った。
「危ないですよ。この辺は足場が悪いですからね。転ばないよう気をつけないと」
 そう言ってから、取った腕を離し、床に落ちて潰れてしまったおにぎりを拾った。
「おいしい」
 吐き捨てるように言ってから、あおいは手についたご飯粒を舐め取った。



***



 結局、午後も合わせて十四時間作業を繰り返し、給料七千円と少しを受け取った。慣れてしまっているので筋肉痛にはならなかったが、体が重いのは確かだ。
 もちろん契約は切られた。あの態度で給金が貰えただけでも良しとしなければならないだろう。働けもしない子供が餓死していく現状と比較すれば、それだけでありがたい。
 途中でたまたま開いていた店でバニラバーを買った。舐めながら、帰路を歩く。
 その店の時計を見せて貰ったら、もう十一時だった。季節は夏だが、すっかり雨に降られたような水分を吸った黒のTシャツに夜風が吹きつけると、少し肌寒かった。汗は歩き始めてから少し経ったところで出なくなっていた。
 街灯だけが照らし人通りのない夜道を進み、旅館の玄関まで辿り着くと、
「あおい?」
 聞き慣れた声が背後から被せられた。振り返れば拓真だった。
「あれ! 拓真だ! お疲れ」
「あ、うまそうなもん食ってる……」
 街灯に照らされた彼は心底疲れ切った表情を浮かべた。
「アイスのこと? あ、いいよ。あたし、もうそんなに飢えてないからあげるよ。残り物でよければね」
 三分の一程度残ったバニラバーを手渡した。
「いいのか? ありがとう」
 一度は縦に食べようとしたが止め、拓真は棒を横に倒して一口で食べてしまった。
「大事に食べなよ……」
「いや、だってなんか、あの状態から舐めたら落ちそうだろ」
「せっかくあげたのに」
 玄関の戸を開けて、廊下を歩きはじめる。
「そういえば、どのくらい貰えた?」
「二万」
「……仕事内容は?」
「……聞くなよ」
 男向けに紹介されていた仕事の内容は、誰にでも出来る簡単な作業、とだけしか書いていなかったがそれは危険だというサインだ。誰にでも出来た試しはない。本当に簡単な作業ならその場で言って終わる。
「彰と俊介とは別々の場所に配属されてて、終わったら各自解散って俊介が言ってたから俺だけ先に帰って来た」
「明日はどうするの? また同じところ?」
「いや、あの作業は今日だけ。あおいは? もう何日かあるみたいだったけど」
「あはは……ごめん。切られた」
「……今度は何やったんだよ」
「いや、ね? 倉庫の床に落ちたおにぎりを美味しく頂いただけなんだけどね?」
「それだけじゃ切られねーよ普通……」
 廊下の突き当りに差し掛かり、拓真が扉を開いた。
「……ま、いっか。そういやここ、朝確かめたら風呂もあるってよ。別料金だけど。どうする? 入ってくか?」
「そうしようかな。でも、ひとまず着替え取りに戻ろうよ」

 部屋に戻ると、凛が床にうつ伏せに倒れこんでいた。あおいが体を揺らすと、寝ぼけ眼で起き上がった彼女はおやすみ、と小さく言い、また床に倒れこんだ。あおいはジーンズのポケットから折りたたんだ封筒に包まれた給料を机の上に放り投げて、鞄の中から着替えとバスタオルを漁った。
「凛、風呂入りに行くんだけど、一緒に行かない?」
「風呂? 風呂までついているのか?」
 二度寝しようとしていた凛が気だるげに呟いて、体を起こした。欠伸を一つ零して、大きく伸びをした彼女は手を畳について這い、荷物まで辿り着くとあおいと同じように着替えとバスタオルを出した。相当に疲れたのだろう。弁当のライン作業と聞けば楽に聞こえるかもしれないが、立ちっ放しで工場の一部となる作業だ。飢餓から体力を回復している途中の彼女にとって、楽な作業のはずはない。
「値段は? 拓真」
「一回百円。銭湯よりは少し高いけど、たまにはいいよな」
「宿泊費に入れて一日六百円って考えても格安……。ホント、支援されてるからって言っても信じらんない値段設定。この街の首長って頭大丈夫なのか心配になるよ」
「頭のネジが外れてどこかに転がっているとしか思えないな」
 凛が同意したところで、拓真も着替えを取り出し終え、三人は部屋を出て階下の風呂に向かった。風呂までの道にも埃やごみの類は見受けられない。赤絨毯は足音を吸収し、三人の衣擦れの音だけが廊下に響いていた。あおいは段々不安になってきていた。貧乏症だと笑われるかもしれないが、今までに普通の旅館に泊まったことなど一度もなく、一泊五千円などの格安とされる場所でも手の届かない所にあった。何かある、とつい考えてしまう。拓真や俊介は、おかしいと感じていないのだろうか。
 風呂に入る前の場所に、番頭らしき男性が座っていた。彼に三百円をまとめて渡すと、指で廊下の先を指された。
「じゃ、また後で」
 男湯の方に拓真が入っていく。それからあおいと凛は女湯に足を向け、更衣室に入った。更衣室には数人の先客がいて、ガラガラと開いた戸に一瞥をくれたあと、それぞれの行っている作業に戻っていった。どの顔も暗く、あるいは疲れ切っていて、旅を楽しんでいるという様子はない。やはり女将のような従業員菊政さんの言う通り、街の復興に協力している宿なのかもしれない。端の方で着替えている白髪のお婆さんの体ですら引き締まっている。横顔も無表情で、老後の旅行を楽しむお婆さんには到底見えなかった。あおいは彼女らに倣い、左右に配されている四角ボックスの適当な場所から籠を取り、手早く服を脱いで詰めて行った。
「酷い傷跡だ」
 あおいの脇腹を見て、同じく籠に脱ぎ終えた服を詰めている凛が呟いた。配慮のかけらもない物言いだが、正直にそう言われた方が楽なのも確かだった。
「昔、刺されて」
 全て脱ぎ終え最後に首の包帯を取ると、さすがの凛も固まった。
「……そこも、酷い」
「これは、つい最近。ようやく直ってきたけどね。死にかけたの。相手のナイフが、人の血と脂を吸い過ぎて切れ味が悪かったから助かったみたい」
 見た目には首を裂かれれば即死の印象を持たせる大型のナイフだった。そのくらいしか思い当たる節がない。
「……なんだか次元の違う話に聞こえる」
 この傷は、完全に痕として残るだろう。外套を脱げば見えてしまう部分だけに、改めて手で触ると悲しくなった。しかし、と凛の頬に視線を向けた。彼女の右頬にも、一本の大きな傷跡が縦に走っている。
「これか? 君の傷に比べれば大したことはない。元々、格好には頓着しない方だから」
 淡々と告げた彼女は、頬に触れる時に少しだけ憂いを帯びた表情を浮かべ、それから笑顔になった。
「さあ、入ろう。久しぶりのまともな風呂だ。体を洗って早く湯船に浸かりたい」




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