10

 誰か居ませんか、の声に応えたのは結局一人もいなかった。さすがに市内全体を捜し回ることはできずに夕刻を迎え、拓真たちは瓦礫の山の一つに陣取った。
「……死体すらなかった」
 夕暮れ時の太陽を背にし、瓦礫に体を寄り掛けている拓真は呟く。
「これで分かっただろう? あいつらのやり方が。反政府集団を潰さないと国家が転覆すると恐れ、潰すから反政府集団が生まれる。こんなことを繰り返しても、国としての力は弱体化していくだけだ。こんな十七の子供にも分かることが、あいつらには分からない」
 俊介が珍しく声を荒げ、拓真の呟きに反応した。
 不思議そうに見つめると、俊介は慌てたように口調を押さえた。
「……とにかく、今日はもう休もう」
 彼は枕代わりのボストンバッグを地面に置き、その上に頭を乗せた。地面に直接頭を付けるのは頭に砂利が当たって痛い。
「えー、拓真が日本に来た理由聞かないの?」
「まだ寝っ転がってるだけだよ。話すなら、聞く」
 昨日からの無理が祟っているのか、今にも眠りそうな瞼の重い俊介とは対照的に、首に包帯を巻いたままのあおいは絵本を前にした子供のように目を輝かせている。
 ……やりにくい。
「なあ、別に面白くも何ともねえからな? すげぇ短いし。俊介くらいがちょうどいい」
「あ、あたし? あ、ご、ごめん……不謹慎だよね。ただ、拓真、自分のこと、あんまり話さないから、なんだか嬉しくなっちゃって……」
「……なら、いいけど。なんていうか、大筋は昨日話した通りで……。まず、母親が死んだ理由。あの人が死んだのは俺が四歳くらいの時で……他国の侵略軍が攻めてきて街を破壊して回った時に、瓦礫に埋もれて倒れてるところをその侵略軍の兵士に、蹴り殺された。次に父親が殺された理由。母親が殺されたとき俺は将来の奴隷用に連れて行かれそうになって、その兵士を殺して助けてくれたのが、仕事場から駆け付けた父親だった。父親は反逆者として追われるようになって、逃げながら俺のことを育ててくれた。でも、俺が十六の時に見つかって殺された。二人が死んだ説明はこんなところ。いいか?」
「……うん」
 淡々と説明すると、彼女は神妙な表情で頷いた。
「……で、父親が死んだあと日本に来たのは、昔、父親がいい国だって散々言っていたのを覚えていて、もちろん新しく成立した傀儡政府も恨んでいたから。そこで、国をどうにか逃げだしたい人たちが拾ってくれて、亡命のために調達した船に一緒に乗せてくれた。それから数日後、上陸したところを攻撃されて、一人はぐれた少年は盗みを働いたりしながら生き延びてきましたとさ。ハイ終わり」
 日本語に習熟してきたとはいえ、面白おかしく自分の生い立ちを話すことはできなかった。第一、内容自体が明るいものではない。
 十六の時に、父親を置いて逃げ出した時の情けなさ。政府への憎しみ。こそこそと隠れて警備の薄い街に忍び込み、盗みを働いて街を出、砂地に身を埋めて過ごしてきた惨めさ。あおいと俊介に出会うまでに経験したものはまだ心中に燻っていて、それを正確に言い表わす言葉を、拓真は、母国語でも日本語でも持ち得なかった。
「あは……臨場感ないね。それに、唐突に終わりすぎ」
 空笑いを浮かべたあおいは、顔を俯けた。
「……似てる」
「ん?」
 彼女は顔を上げ、伏し目がちな上目遣いで拓真のことを見つめた。
「両親を亡くして、政府を恨んで、拾われて……」
 ただ、そこからが拓真よりも酷い所なんだけどね、と彼女は呟いた。
「殺した。政府の人間を、何人も……。この街の状態、見慣れてるといえば見慣れてるんだよね。街の人間を囮にして、その隙に逃げたりしたから」
「自分たちが逃げるために、街をこの状態にさせたのか……?」
「平気だった。それほどに私たちは、政府が憎かった。憎くて、仕方がなかった。両親が死んだときのこと、話そうか? 政府の奴らは……」
「姉ちゃん!」
 あおいが言葉を繋げようとしたところで、顔を瓦礫に向けていた俊介が突然怒鳴り、それからゆっくりと起き上がった。
「その話はお願いだからやめてくれ! 僕はまだ……!」
「俊介……?」
 拓真に名前を呼ばれるとはっとなって、俊介は右手で額を覆った。
「……あ、いや……ごめん。急に怒鳴ったりして……。疲れてんのかな」
 一人で呟いた後、彼はふらつきながら立ち上がった。
「……その辺、少し歩いてくるよ。すぐ戻ってくる」



***



『どうしても、やめるのか? 政府への復讐はどうするつもりだ』
『本当に、最近の弟の様子はおかしいんです。俊介をこれ以上ここに置いておいたら、感情が擦り切れて、なくなりそうで怖いんです……。お願いします。どうか、脱退の許可を』
『そうか。あおいは先程からそう言ってるが、お前はどうなんだ、俊介』
『……! 俊介、いつからそこに……』
『姉ちゃんがいうなら、そうします。……ただ、政府への恨みは、一生忘れません……』
『……いいだろう。本人の意思ならば、脱退を許可する』
『本当ですか!?』
『ただし、条件がある――』



   ◇



「俊介はね。一時期、感情を失くしかけてたの。今じゃ分からないかもしれない。でも、三年前、組織を抜けるまでは、怖くてあたしも近寄れないくらいの雰囲気を持っていた」
 俊介がどこかへ歩いていく後姿を見つめながら、あおいが足もとの砂利を弄りながら、囁くように言った。
「そうだったのか? 全然分かんなかった……。確かに感情を乱したのはさっきの怒鳴った時くらいだったけど、普段からよく笑ったりしてるし……」
「……俊介は、心底政府を憎んでる。無理やりあたしが連れ出しているだけで、本当は組織に居たかったはずだよ。いつも一緒に暮らしてきて、あたしのお願いすることは大体聞いてくれるから、良かったけど。もし、ただの姉弟だったら、絶対残った気がする」
「……今も?」
 今も、俊介は、政府を憎んでいるのだろうか。組織に戻りたがっているのだろうか。
「……もちろん。俊介の考えていることは、あたしにも読めない。でも、両親を目の前で八つ裂きにされてるからね。あたしは後で聞いただけだから……さすがにもう、薄れてきたけど」
「八つ裂きって……」
「政府に、すごく大雑把な拷問をする部署があってね。あたしの両親は、ただの農家だったのに、反政府集団との関与を疑われた。俊介の前で四肢をもがれて、奴らは両親とも、顔の原形を留めなくなるまで殴り通した。"決して死なないように"、ね。情報を出せと言ったって、持っていないものは出しようがない。……俊介が教えてくれた最後の両親の言葉は、『もう、殺してくれ』。すると途端に奴らは暴行を辞めて、金になりそうなものの物色を始めたんだって。両親が死んだのは、きっと、随分時間が経ったあと」
 あおいは俯いたまま笑うように言うと、それから目元を拭った。
「物影に隠れていた俊介は、逃げた。逃げて、街で買い物をしていたあたしに、教えてくれた。あたし、最初は信じないで買い物を続けたけど、家に戻って、血痕のこびり付いた床と、両親の居なくなった家を見て、ようやく俊介の話が本当なんだ、って気付いた」
 彼女はそこで、顔を上げた。
「あたしは、その次の日、店から物を盗る様になった。その次の日からは、財布をスった。でも、所詮は子供の悪事。三日目にスった相手が、組織の幹部でね……ばれて、裏路地で殴られて、蹴られて。そこを止めて、おもしろい奴らだって言って拾ってくれたのが、光信(みつのぶ)さんだった」
「……その光信さんって言うのが、エペタムのリーダー?」
「うん。それから、暗殺の技術を仕込まれ始めて、徐々に徐々に人を殺していった。素質があるって言われて、嬉しかった。あの優しい両親を無残に殺した政府の人間に、復讐ができる。それだけで、嬉しかった」
 でもね、と彼女は繋げた。
「殺しすぎたせいで、俊介がおかしくなっていって、そこであたしは、我に返ったの。こんなことしていても、誰も救われないってね。そう思うようになったら、普通の生活が、急に恋しくなった。だから、どうにか賞金稼ぎを振り切って、やっと普通の生活が出来ると思ったとき、凄く嬉しかったなぁ」
 本当に嬉しそうに零したので、釣られて顔が綻んだ。
「……普通の生活が始まってからすぐに出会った拓真は、その象徴みたいなものなんだよね。だから、拓真がいい奴でよかった。あたしを好きになってくれて、すごく幸せ」
 彼女は頬に手を伸ばしてきて、軽く撫でた。くすぐったいと思ったが、優しく言ったあおいが可愛くて、手を重ねた。
「……俺もそう思うよ」
 彼女はその言葉を聞くと拓真の額に唇を寄せ、軽く口付けしてから立ち上がった。
「……俊介追いかけよっか、拓真。今の俊介はほっとくと危ない感じがするも……」

 そこで、あおいが突然前のめりになった。何かと思うと、後ろから飛んできた小石が、彼女の頭を直撃していた。
「いったぁー……」
 彼女はすぐに振り向くと、小石が飛んできた方向を思い切り睨み、口を開きかけた。
「お前ら、一体誰の許可を得てここで休息を取っている!」
 あおいの声よりも先に、声高で威圧的な女声が、積み上がった瓦礫の頂上から降ってきた。夕暮れを背景にした女のシルエットが浮かぶ。
「誰って……ここは誰の家でもないだろ。お前らこそなんだ? 人に向かって石ぶつけやがったくせに……」
「何だと! 生意気な……おい、アキラ! あのガキどもに口の利き方を教えてやれ!」
「分かった、俺に任せろ!」
 後方から発した威勢のいい声を聞いて、拓真は咄嗟に地面に置いていた小銃を取り、声のした方へ向けた。
 位置をわざわざ知らせてしまうなんて、ド素人としか思えない。
「ま、まった! ストップ。ストーップ」
 小銃の照準の先、金属バットを振りかざしていた男が、途端に情けない声を出し、両手を上げた。その隣に、びくついた少女が突っ立っていた。



   ◇



 
 あおいが襲ってきた三人を並べ正座を指示しているのを横目に見て溜息を吐くと、俊介が戻ってきた。
 拓真は戻ってきたことに内心安堵しつつ、何事もなかったかのように声を掛けた。
「誰? この人たち」
 彼はいつもの表情を取り戻し、一番端に座る女を見つめて言った。
「なんか、この辺りの廃墟に住みついてる奴ららしい。因縁つけてきたから、銃を向けたら勝手に投降してきた」
 なんだそれ、と俊介が顔を顰めた。
「で? あんたら何であたしに石なんかぶつけてきたわけ?」
 あおいが目つき鋭く睨むが、三人のうちの唯一の男が、胸を張って答えた。力のある目と眉には強さが感じられ、髪は激しめに立っている。
「何でって、いきなりバットなんかで殴りかかったら死んじまうだろーが!」
「……は?」
「……姉ちゃん、ちょっとややこしくなりそうだから僕が訊くよ」
 あおいは男を睨みつけたまま、黙った。
「あの、どうして因縁つけたんですか?」
「ここを通る弱っちそうな奴らから食料を巻き上げるためだ。これまで五回とも成功している」
 一番年上に見える女が、偉そうに言った。服装の露出度は高いのに艶やかさはなく、どちらかといえば品のない印象だ。気性の荒らそうな目に、挑戦的な口元。右頬に縦長の切り傷が一本伸びている。
「……。さっきから凄い偉そうですけど、僕らじゃなければ殺されてますよ」
「誤算だった。だって、銃持ってるとは思わなかったんだもーん。謝るよ。見くびってごめん。だから、ね、もう帰っていいよね!」
「座れ」
 右手を顔の前で縦に軽く振って謝罪を表してから語尾を可愛らしくまとめ、女が立ち上がろうとしたところを、あおいが引っ掴んで再び座らせた。
「ふざけんな。石が頭に当たったせいで脳細胞が一億死んだ。治療費くらい置いてけよ……」
「あおい……口調が女じゃなくなってる。釣られんなよこのバカ二人に」
「バカ二人とはなんだ! 俺たちがバットでいきなり殴りかかってたら死んでたんだぞ。配慮に感謝してほしいのはこっちの方だ」
 立たせた髪を揺らしながら、男がまたふんぞり返った。あおいが男を殴り付けそうだったので抑えて、溜息を吐いた。
 悪い奴らではないのだろう。だが……。
「……話、通じなさそうだね」
 俊介の言葉に、静かに頷いた。
「ねえ、じゃあ、君に聞くけど。名前と、年と、いつから、どうして、ここに住み着いてるの?」
 彼は視線を少女に向け、優しく訊いた。髪は肩の下くらいまで伸びていて、細身な目に、歪に切られた前髪が少しかかっている。
「……えっと、私は浅井未由(あざい みゆ)。十四で、三人兄弟の末です。彰(あきら)お兄ちゃんが二十一、凛(りん)お姉ちゃんが二十三。住み着いたのは最近で……理由は、街から追い出されたから」
「……話、通じた」
 俊介が嬉しそうに拓真を見て言った。
「あの! ほ、本当にごめんなさい。でも、決して悪い兄姉(けいし)ではないんです。見ての通り、バカですけど……。優しい人たちなんです。こんな、追剥みたいな真似、する人たちじゃ……」
「言うな、未由。俺たちは今や囚われた敗軍の将だ。敗軍の将は何を語っても言い訳のようにしか受けとって貰えないものだ」
「……ひとまずは未由ちゃんに謝って貰えたし……どうする? 姉ちゃん、拓真」
 彰の言葉を無視した俊介が二人に視線を投げた。
 するとそこで、激しく腹の鳴る音が聞こえた。十秒くらい鳴り続けたそれは、場を鎮まらせた。拓真は彰の方を見た。
「腹減ってんの?」
「……」
「……彰お兄ちゃん、俺の分はあるからってさっき……」
「だから、敗軍の将は……」
「……まさか、前に食糧貰った時から、ずっと……?」
 未由が彰を問い詰めるように声を張った。拓真はそこで会話を遮った。
「……なあ。すぐ近くに、農家があっただろ。わざわざこんなところを通りかかる奴らを待ってないで、そこを襲えばよかったんじゃないか?」
 問うと、痩せているだけかと思っていたが良く見れば頬がこけている彰は、目を丸くした。
「そんなこと、できるわけがないだろう! こんな国の状況で、何カ月もかけて一生懸命育てた作物を盗まれた人々のことを想えば、そんなこと……できるはずがない」
 苛々した様子で俯き、腕を組み指を叩いていたあおいは、そこで驚いたように顔を上げた。
「追剥とどう違うって言うんだ?」
 返って来る答えには凡そ見当がついていた拓真は特に驚きもせず、さらに彰に対して意地の悪い質問を重ねた。
「……フン。実際は、お恵みをしていただいたんだよ。五回ともな。物乞いの真似ごとをしていた。可哀想な貧困層に食糧をってな。ここ一週間は誰も通らなかったから、お前らを軽く脅して荷物だけ奪おうと思った」
 彰は照れを隠すかのように投げやりに言った。 
「他の街で労働しようとは?」
 真偽を探るように目を真っ直ぐ見つめて言うと、相手も負けじと睨み返してきた。
「……追放される時に国籍を剥奪された。どうにか柵を上って自分の街や他の街にも入ろうとしたが、警備に殺されかけて諦めた」 
「国籍を剥奪?」
 いくら荒んだ状況とはいえ、日本でそんなことがあり得るのだろうか。振り返ると、あおいは渋い表情のままで、反体制の危険因子なら充分有り得るよ、と言った。大戦後の憲法改正で既に正当化されている、と。
 その言葉を聞いた拓真は黙って荷物の中からコンビーフの缶詰を三個、食肉野菜煮の缶詰を三個と、前の街でペットボトルに汲んでいた水を取り出した。あおいが慌てて駆け寄り、拓真の肩を掴む。
「ちょっと拓真! あたしたちだって、そんなに余裕無いんだよ? それに、そいつらの話が本当だって言う証拠は?」
「こいつの、目。それに、逃げようとしなかった」
「銃で撃たれるのが怖かっただけかもしれないじゃない。……そんなことで大事な食料渡すつもり? ばっかじゃないの」
 口ではそう言いながら、あおいは拓真の肩を離した。
「……次の街に行ったら、奢ってよね。あたしと俊介の分も混じってるんだから」
「分かってるって」
 出会ったころなら確実に渡すことを許さなかったはずの彼女を見て、思わず笑みが零れた。




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