four S ―叶わなかった平和―


「……最後になるが、先程の戦いで、七尾一級隊員が破砕弾を装備し忘れるという重大なミスを犯した。石黒特級隊員のカバーで事なきを得たが、少しの間違いで、命を落としてもおかしくなかった。七尾隊員の人となりを知っていれば、そんなミスは七尾隊員しかしない、と思う人間もいるかもしれないが、今一度、念入りに装備を点検してほしい。すでに話したように、ここ最近だけで特級隊員が三人、亡くなった。その事実をどうか胸に留め置いて、戦ってほしい。訓示は以上だ」
 それぞれの突撃隊隊員の携帯情報端末に強制配信された音声ファイルには、辰野の代わりに新しく突撃隊隊長に就任した阿久津の声が入っていた。
 声が小さいのは相変わらずだが、訓示の内容は良く考えられていて、犯人――あるいは犯人たちが七尾にしたような、一瞬の動揺を誘発することはもう難しくなっただろう。
 けれど、言われずとも準備を一切怠らない特級隊員の虚をつくというのは、そう簡単なことではない。熱源反応のないC型の風切り音を聞いた時も、石黒はどこかに冷静な自分をもっていた。辰野も石黒と同じかそれ以上の能力は持っていたのだから、C型がレーダーに捉えられなかったくらいで、あっさり餌食になってしまうとはとても思えない。
「これでよかったのか? 七尾君がさらし者みたいじゃないか」
 阿久津がかすれた声で七尾に話を振った。
 七尾は笑って頷いた。
「大丈夫ですよ。馬鹿にされるのは慣れてますから! 主に先輩のおかげで」
「お前が変な行動をするから注意してるだけだろ……」
「あ、俺は完全に下に見てるんで、安心してください七尾さん」
「小西は黙ってて」
 監視を避けるため、任務の隙間を縫って野外の射撃演習場に集まったのは、小西と阿久津、石黒と七尾。
 七尾と話し合ったり、監視カメラの映像を検討したりした結果、小西と阿久津とは話を共有しても大丈夫だろうということになった。
 ごほん、と、阿久津が咳払いをした。
 場の空気がぐっと締まる。阿久津は見た目こそ頼りないが、特級隊員で随一の実力を持っている。
 どんよりとした曇り空の下でどこか迫力を増した彼は、
「まずは容疑者を挙げてみようか」

 実行部部長 真村吉弘
 副部長 日笠宏
 作戦隊隊長 新山みかげ
 情報部部長 江田正志
 研究部長 石黒伊世

 他にも上級隊員や各部の部員の名前が挙がったが、作戦行動に何らかの干渉ができ、監視カメラの映像を改ざんできるところから見て、主犯格は間違いなく幹部クラスだろうというのが、石黒たちの出した結論だった。
「総務部部長の橋本と、広報部部長の平は一応幹部だが、実戦には詳しくなく、機密情報へのアクセス権限もない。しかし残りの幹部は、その気になれば誰でも特級隊員を殺すことが可能だろう。石黒君には申し訳ないが……」
「いえ、名前が挙がってくるのは当然です」
「それだけ有能だからな、伊世さんは」
 伊世に対しては、どうしても母親代わりというフィルターをかけてしまうぶん、阿久津が目を光らせてくれれば心強い。そう思い込んで、動揺は奥にしまった。
「私は真村さんと伊世さんを洗う。新山君に関しては石黒君、君が頼む。小西君は江田さん、七尾君は日笠さんを。無理する必要はないからな、まずは監視カメラから行動を洗ってくれ」
「はい」
「了解っす」
「わっかりました!」

 特級隊員の三人が同時に休養できるタイミングはそう多くなく、連絡は主に七尾を通して行われた。
 けれど、調査を始めて一週間経ってからも、幹部たちが怪しい行動を見せることはなかった。突撃隊隊長、阿久津の権限でいろいろと業務の情報が手に入れられるものの、幹部たちが自分の力を尽くしてクリーチャーの根絶に従事している様子しか、見てとれない。上級隊員の死者のほうも落ち着きを見せ、一級隊員は誰も死んでいない。
 自分の思い過ごしだったのだろうか。
 そう思いながら石黒が任務から帰り、バトルスーツの破けた部分を直してもらおうと研究部を訊ねたときだった。白衣を着て机と机の間、実験器具の間を行きかう研究員たちが、何やら心配そうに、部長室のほうにちらちらと視線を送っているのに気付いた。
「どうしたんですか?」
 バトルスーツを預かってくれた、女の研究員に訊ねる。
「え、ああ……」
 彼女はバトルスーツの引き取り証明を端末で発行しながら、
「部長とみかげさんが言い争ってるみたいなんです。わたしたちじゃとても割って入る勇気はなくて……」
 石黒は一度頷いてから、部長室の扉の近くまで歩いた。
「だから、何度も言いますけど、レーダーの精度をどうにかしてくださいっていうだけのことが、どうしてすぐにできないんですか」
「こちらの研究員たちも精一杯やってくれているわ。復興に財源が回されている中、研究部もぎりぎりの採算でやっているのでね。レーダーは故障していないし、故障していないものを新調するような金はどこにもない。これ以上何かをお求めになるなら、ご自分で調達してはいかが?」
「CH計画のときもそうでしたけど、あなたは何が優先されるべきなのかわかっていないようですね。人基のような特級隊員はともかく、下級隊員は怯えて脱走を企てるものまで出てきているんです。他のどんな研究よりも最優先でやってください。お願いしましたからね」
 扉を開けて出てきたのは新山だった。
 鉢合わせに驚いて一歩引いた彼女は、
「レーダーの精度の件、あなたからも言ってもらえる? あの分からず屋に」
 と吐き捨てて、石黒の隣を通り過ぎて行った。
 もし新山がレナントの内通者だとするなら、これも演技なのだろうか。
 十年間一緒に戦い続けてきた新山を平然と疑える自分に気持ち悪さを覚えながら、部長室に入る。
 短い髪に手をうずめていた伊世は、憮然とした表情で石黒を迎えた。
「何? あなたも文句をつけに来たの?」
「そういうわけじゃない。ただ、みかげさんにも立場があるんだから、言いようってもんがあるだろ」
「わたしたちも今は本当に厳しいなかでやりくりしてるのよ。それを上から、何もしていないみたいにどやしつけられたら、こっちだってプライドがあるからね。それに、本当にレーダーにおかしいところはないの」
「けど実際に、レーダーの挙動はおかしい。理由の見当すらつかないのか、あんたでも」
「あんたはやめなさいって言ってるでしょ。……本当に、わからないの」
 伊世は見たこともないほど憔悴し切った表情で、呟いた。
 これも演技なのだろうか。
 先程新山に対して向けた目を、親代わりになってくれた叔母に向ける。その重みに、体のどこかがうなりをあげて軋みだした気がした。人を疑うたびに、自分のなかで何かが崩れていく。
 二人の言い分は食い違っている。そうだとすれば、どちらかが、嘘をついている。
 自分にとって恩人の、どちらかが。

 研究部を出たあと、石黒は情報部に足を向けた。
 軽く背伸びして部屋中を見渡すと、顔見知りの情報部員がディスプレイとにらみ合っているのを見つけることができた。
 一級情報部員の内《うち》は、石黒の姿を見つけると大きく手を振ってきた。
「どうした、石黒」
 歳こそ四歳上だが、彼とは同期で、研修中には顔を合わせる機会も多かった。そのせいか、いつも気安く接してくれる。
「すみません、お尋ねしたいことがありまして」
「なんだよ、お前が頼ってくるなんて珍しいな」
「CH計画って、知ってますか?」
 言った途端に、内の表情が変わった。
 石黒が戸惑って
「何かまずいこと言いましたか、俺」
 と呟くと、内は
「ちょっと待ってろ」
 とだけ言って椅子から立ち上がり、石黒が何かを言う間もなく、部屋の奥へと消えて行った。
「情報部第六区画の五十五Cって場所にお望みの情報がある。中は俺も見たことはない。第六区画へのアクセス権限があるのは担当者か特級隊員か部長級以上だ、お前なら見られる」
「ありがとう、恩に着ます」
 戻ってきてからそう教えてくれた内の情報に従ってさっそく向かった。第六区画の入り口で指紋と静脈による生体認証を済ませたあと、中に入る。
 飾り気のない無機質な部屋には棚がずらりと並んでいた。棚の数は膨大で、片っ端から調べていったら、必要な情報を得るのに何か月かかるかわからない。情報へのアクセス権限はあっても、誰かに『それ』の存在を教えてもらわなければ知ろうとも思えない。木を隠すなら森へ。
 石黒は小走りに棚の間を抜け、五十五Cというプレートの貼りつけられた引き出しを手前に引いた。中にはメモリーカードとファイルだけが入っている。少し迷って、ファイルを抜き取った。棚の合間にときどきある据え置き型情報端末が備え付けられた席を見つけて、石黒は金属でできた冷たい椅子を引いて腰かけた。
 ファイルをめくると、CH計画という文字を潰すように『却下』と赤い判の押されたページがあり、タイトルの下に、CH計画が何を略しているのかが書いてあった。
 クリーチャー・ヒューマン・プログラム。
 定例会議提出書類ともあり、日付は石黒が特級隊員に昇格する一月前――五年前の十二月になっている。
 ページをめくる。
 議事録という題字の下に、

 賛成5名 阿久津良和 江田正志 平晃政 新山みかげ 橋本洋司
 反対7名 石黒伊世 佐藤しず 辰野荒太 松島良彦 真村吉弘 日笠宏 船尾真一

 とあった。
 思わず一度、ファイルを閉じる。
 もう一度開いて、名前の並びを何度も見た。
 反対者が既に四名、死んでいる。船尾は特級隊員の一人で、終戦直前の最終決戦で死んだ。
 もうひとつの引っ掛かりを覚え、特級隊員の戦死状況をまとめたファイルを、携帯情報端末で調べた。
 佐藤、松島、船尾のときのオペレーターを見る。いずれも、『新山みかげ』となっていた。
 嫌な予感がして、勤務のシフト表に目を移す。
 一週間前まではクリーチャーの動きが異常に激しかった。部長の真村も前線に立たざるを得ない状況だったが、ここ最近は少し落ち着いて、今日、久しぶりの前線任務に入っている。オペレーターは新山みかげ。
 石黒はすぐに立ち上がってファイルを元あった場所へ戻し、駆け出した。