four S ―叶わなかった平和―


 勤務表を眺めていた石黒人基《いしぐろ ひとき》は、特級隊員・佐藤しずの名前を二重線で消した。
 五月に入ってから特級隊員が二人、一級隊員が四人、それぞれ死んだ。ひと月で上級隊員がこんなに殺されるなんて、戦争中にもなかった。これで、特級隊員は石黒を含めて残り四人。一級隊員は残り十三人。これ以上、下手な作戦で殺されたらたまらない。仮眠室のベッドから這い出して、作戦室に向かった。
 怒りにまかせて作戦室の扉をノックもなしに開けると、新山《にいやま》みかげが、ひとりでテーブルに突っ伏して、嗚咽をもらしているところだった。顔を上げた彼女の目元から次々涙がこぼれている。
 見て見ぬふりもできないので、仕方なく、そのまま新山の隣の椅子を引いて座った。誰が一番辛いのかも考えず、わざわざ怒りに来た自分がひどくちっぽけに思えて、自己嫌悪が渦巻く。石黒が十六歳で入隊したとき二十四歳だった新山とは、戦争終結までの十年間、一緒に戦ってきた。けれどどんなに不利な状況に追い込まれようと、どんなに人が死のうと、新山が涙を零したところなど見たことがない。
「せっかく戦争が終わったのに……」
 新山はそこで言葉を切ったが、言葉の続きがすぐに分かって、うつむいた。
 複数の中立国が間に入った講和条約が結ばれてレナント国軍が撤退、あとはレナント国軍によってばらまかれた生物兵器・クリーチャーを、この国から掃討するだけだった。
 レナントは国際社会に叩かれてもわれ関せずで、掃討には一切協力をしないが、レナントの援軍などなくとも生物災害即応集団――4S《フォーエス》なら十分に対応可能のはずだった。
 それなのに。
 石黒が入ったときにはすでに突撃隊に所属する特級隊員だった佐藤しずは、4Sのなかで特に新山と仲が良かった。突撃隊と作戦隊にわかれた実行部で、女はたった三人しかいない。新山と佐藤は同い年で特に馬が合ったらしく、いつも一緒にいたような気がする。
 いったん整理をつけたはずの気持ちが揺れそうになり、石黒は、新山から目をそらした。
「どうしてこんなことになってるんですか。戦争は終わったはずです」
「わかっていたら!」
 新山は石黒を睨むようにしてそう叫んだあと、
「わかっていたら……」
 小さな声でもう一度繰り返して、俯いた。
「とにかく、みかげさんが指揮をとったうえでしずさんがやられてしまったのなら、異常事態です。定例会議で最優先議題にしましょう」
 しばらく返事をせず、何度かしゃくりあげていた新山は、時間をかけてだんだん呼吸を落ち着かせていった。
 石黒はただ、見守るだけにしておいた。
 友人を喪った『程度』では、新山は揺らがない。
「ごめんなさい、無様なところを見せた。会議までには気持ち、立て直しておくから」

「人基」
 会議室の手前の通路で話しかけられて、石黒は振り向いた。
 叔母《おば》の石黒伊世《いよ》だった。
「ああ、あんたも会議に参加できるのか」
「何度も言ってるでしょ。親に向かってあんたはやめなさい、あんたは」
「じゃあ、おばさん」
 伊世の着ている白衣が揺れる。腹に拳がめりこんできた。
「おばさんは殺す。まったく、素直じゃないんだから」
 わかっている。いまさら恥ずかしくて、『お母さん』などと呼べないだけだ。
レナントの開発したクリーチャーが暴走した日、国境近くに住んでいた両親と石黒はそれに巻き込まれた。石黒が十歳のときだった。それ以来、母の妹だった伊世は、親代わりになってくれている。
 伊世が木で出来た会議室の扉を開ける。後に続いた。
 会議室は、青地に黄色い半月が浮かぶヒノ国の国旗が壁に掲げられている他は、九対の椅子が置かれた長机があるだけの質素な部屋だ。
 定例会議に呼ばれるのは、ふだんは十人いるけれど、何人か欠席している。忙しすぎるのだ。今日の参加者は突撃隊特級隊員の石黒の他に、同じく特級隊員の阿久津、作戦隊隊長の新山、突撃隊と作戦隊を統括する実行部部長の真村、そして研究部部長の伊世だけのようだ。
 石黒は一番手前の席に座って、手に提げていた鞄を椅子のすぐ横に置いた。中から、薄い板状の携帯情報端末を取り出し、机に載せる。伊世は長机の真ん中の席に座って真村と向かい合った。
「よし、始めるか」
 戦場以外では、気のいいおじさんにしか見えない真村が、一同を見回しながら言う。
「小西が来ていません」
 手を挙げながら言ったのは、石黒の左隣にいる阿久津だった。三十八歳にしては白髪の多い髪に、もともとの不健康そうな顔立ちが、ここのところの激務でか、さらにやつれている。
 いつものことだからか、真村は軽くうなずいただけで流した。どうせ寝ているのだろう。一応言っておいただけらしい阿久津もすぐに手をおろし、
「まったく……」
 と小さく呟き、目を閉じた。
「このところの死傷者数は目に余る。何が原因だ、新山」
「わかりません」
 真村が口火を切って、新山が応えた。
 その手腕を恐れたレナント軍から何度も暗殺されかけた新山が、会議室で『わからない』と口にしたのはずいぶん久しぶりかもしれない。
「特級隊員二人を失ったのはわたしの力不足です。どんな処罰でも受ける覚悟でいます」
「おいおい待て、別にこの会議は、お前を吊し上げる場じゃないぞ」
「あなたが有能なのはみんな知ってるわ。この状況をどうにかするのが先よ。会議の前に情報をもう一度確認しましょう」
 真村と伊世が続けて言う。
「では……わたしから、いまの状況をまとめさせていただきます」
 新山が、手元の携帯情報端末を操作した。
 会議室にいる五人全員の携帯情報端末に、画面が共有される。
「一連の上級隊員の死は、五月一日、午前二時三十五分から始まりました。最初の犠牲者は一級隊員の池内で、A型変異種により全身を締め上げられ死亡。続いて五月二日、午後三時二分、一級隊員の原が死亡。池内と同じくA型変異種にやられています。少し時間が空いて七日、午前零時十分、松島班、E型の散布したと思われる毒物により六名全員が中毒死。なぜ防毒ヘルメットを使わなかったかはわかりません。松島班には特級隊員の松島と、一級隊員の関、宮下がいました。この七日はひどいもので、現場のトンネルが崩落して遺体もぐちゃぐちゃです」
 いずれも遺体の写真が添付されているが、誰にも動揺の色はない。
 ここで目を背けるようなまともな神経をしていたら、4Sの要職は務まらない。
「そして一昨日……十一日午後十一時四十八分、特級隊員の佐藤が、散開行動中に通信途絶。詳細は不明ながら、翌日、捜索隊によって遺体で発見されました。遺体の損壊が松島班よりさらに激しく、死因は不明」
「戦争中ですら、半月にこれだけ死んだことはなかったはずです」
 石黒は新山に言ったことを、もう一度繰り返した。
「ああ。その通りだ。クリーチャーどもが突然強くなるはずはない、何らかの人為的なものが背景にあるのは間違いないだろう」
「たとえば、レナント軍による一方的な講和条約破棄の前触れ、ですか?」
 真村の言葉に、阿久津が被せる。
 会議室の緊張が一気に高まるが、阿久津は気にした様子もなく、ぼんやりと真村を見つめている。
「いずれの場合も、殺された瞬間の目撃者はいませんが、佐藤の場合を除き、死因はクリーチャーによるものと確定しています。作戦展開中、レーダーに人影が映った形跡もなかったそうです」
 と言った伊世の言葉を補強するように、
「それはわたしも確認しています。いずれの作戦行動中にも、人が関わった痕跡はいっさいありませんでした。少しでも人為的な要素が感じられたなら、わたしは散開行動をとらせたりしません」
 新山が続ける。クリーチャーはあくまでも兵器だ。単独でも厄介だが、人の立案した作戦に織り込まれた時、真価を発揮する。逆に言うなら、人に使われてさえいなければ、4Sの団員たちはクリーチャーにそうそう遅れをとったりしない。まして、特級隊員ともなれば。
「では、どうしてこんなに殺されているんでしょう」
 阿久津の言葉が、また最初の疑問に逆戻りしたことを教えてくれた。
 全員がうつむきがちになったとき、携帯情報端末の画面が点滅し、勝手に切り替わった。
 映ったのは、現在、突撃隊隊長の辰野《たつの》の作戦行動を支援しているはずのオペレーターだった。彼はほとんど消え入るような声で呟いた。
「辰野班と通信が途絶しました。至急、捜索隊の編成をお願いします」
 石黒は向けようのない怒りを拳に込めて、机に叩きつけた。